Up 状況に即応 作成: 2015-09-16
更新: 2015-09-16


    雑草の個体差は,基本的に,自身が置かれている状況に個々が即応している現象である。
    <即応>は,理の実現である。
    無駄・余計なことはしない。
    <伸長>が無駄・余計なことになる状況では,大きくなろうとはしない。
    <頑丈>が無駄・余計なことになる状況では,頑丈になろうとはしない。
    この結果が,<個体差>である。

    個体差が大きいことは,<即応>の能力が高いことを意味する。
    雑草は,人家の塀沿いや物陰に生きるのと,川の土手で風雨・日射にまともに曝されて生きているのとでは,同じ種とはとても思えない姿格好になる。

      ヒトの<個体差>は,《同じ種とはとても思えない姿格好を現す》ほどのものではない。

    <即応>は,<無計画>を含意する。
    生きるにおいて,個体は計画しない。
    実際,計画は,下手な計画が落ちであり,失敗が落ちである。
    <即応>がもっとも当てになる。

      ヒトは<計画>を行う種のように思えるが,そうではない。
      <計画>が商売として成り立ち,これの商売人が興るというだけのことである。
      商売人は,自分の食い扶持として──自身の状況への<即応>として──商売を行う。
      <即応>しかない!
      実際,この商売の中実は,《下手な計画を示し,集団に失敗への道を歩ませる》である。

    <即応>ストラティジーは,状況が変化するとき,崩れる。
    状況の一変は,個体の死を意味する。
    しかし,種は,多様な状況にそれぞれ即応した個体差を実現していることで,全滅しないようになっている。

      ヒトは,「豊かな生活の実現」を理念に生活環境の一様化を進め,個体差を無くしてきた。
      状況の一変は,ヒトの全滅を意味する。

    「<即応>がもっとも当てになる」と言うときの,「到達点」は何か。
    生物では,「種をつなぐ」である。

      ヒトは,「種をつなぐ」を自身の<生きる>の到達点とはしないことで,生物種としてややこしい存在になっている。
      人にとって死は,<死なない>がよいことである。
      人は,「延命」の言行を正義にしている。