Up 「是非も無し」(「現成」) の思想 作成: 2015-08-27
更新: 2015-08-27


    人が物事を考えるとは,物事に是非をつけることである。
    物事に是非をつけるのが,俗である。

    学は,「是非もなし」の思想に導くようになっている。
    このことで,人を俗から脱けさせる。
    翻って,これが学の機能であり,学の意義である。

      註 : 物事に是非をつける「学」は,学ではない。

    「是非もなし」は,「現(うつつ) で成っている」である。
    物事に是非をつける人の営みも,人を包み込んでいる系の「現成」のうちである。


    「是非もなし──現成」は,禅宗の十八番(おはこ) である。 ( 道元「現成公案)
    実際,宗教の修行は学の修行になるから,修行者の行き着く思想は「是非もなし──現成」である。

      註 : 是非をつけるのは,倫理である。
    宗教の方は, 「是非もなし」になる。──宗教は,倫理と似て非なるものである。