Up 「中間型」の考えをもつ 作成: 2021-08-25
更新: 2021-08-25


      Dawkins (1986), pp.415,416.
    現生の鳥類と、哺乳類のような現生の非鳥類との区別は、遡れば共通祖先にまで収斂する中間型たちがすべて死んでいるからこそ、明快なものなのである。‥‥
     現生の動物だけでなくいままでに生存したすべての動物について考えると、「人間」とか「鳥」といった言葉は、ちょうど「背が高い」とか「太った」とかの言葉と同じように、その境界のところではぼんやり不明瞭になってしまう。
    動物学者はある特定の化石が鳥であるかないかについて、決断を下せないながらも論じることはできる。
    実際、彼らはしばしば有名な始祖鳥 (Archaeopteryx) の化石をめぐってまさにこうした問題を論じてもいる。
    もし「鳥類か、非鳥類か」が「背が高いか、低いか」よりもはっきりした違いだとすれば、それはひとえに「鳥類か、非鳥類か」のばあいには扱いにくい中間型がすべて死に絶えているからなのである。
    奇妙な選択性をもった疫病が襲ってきて、中くらいの背の高さの人を全部殺してしまえば、「背が高い」とか「低い」というのは、「鳥類」とか「晴乳類」と同じ程度に正確な意味をもつようになるだろう。



  • 引用文献
    • Dawkins, Richard (1986) :
        The Blind Watchmaker: Why the Evidence of Evolution Reveals a Universe Without Design. Norton. 1986.
        日高敏隆[監修], 中嶋康裕・他[訳]『盲目の時計職人──自然淘汰は偶然か?』, 早川書房, 2004.