Up 新法実現作業の中の "アイヌ" の思い 作成: 2017-01-23
更新: 2017-01-23


      北海道新聞社会部編『銀のしずく──アイヌ民族はいま』, 1991.
    pp.142-144
     89年11月17日夜、東京・霞が関。
     道ウタリ協会が首都で初めて企画した「新法を考える集い」が開かれていた。‥‥‥
     野村義一理事長が参加者の質問に答える。
    「新法ができると、どんな変化があるのですか」
     「たとえば、フィンランドのサーミのように、アイヌ語のニュースがテレビやラジオで流れる。それを奇異に感じない社会になるということです。学問の分野でも、現在は研究するのがシャモ、されるのがアイヌ、われわれは材料です。将来はアイヌの研究者が自分の民族の研究をする」。
    理事長はここまで一気に話した。
     サーミは北欧三国とソ連の北部一帯に暮らす先住民族で、人口は約八万人。かつてラップと呼ばれた。トナカイを追う遊牧生活を保障するため、ノルウェー、スウェーデン両政府は1751年、サーミとの間に、越境の自由、土地や水を使用する権利を認める条約を交わした。
     理事長は顔を紅潮させたまま言葉を続けた。
     「将来のアイヌは教養が高く、経済力をつけ、国の機構にも参画し、に伝え、シャモの方々と共生していくのです」
     力がこもっていた。途中、声がかすれた。
    会場の拍手は鳴りやまなかった
    ‥‥‥
     「アイヌ民族に関する法律(案)」は、「アイヌ新法」と呼ばれる。
     道ウタリ協会は、その前文でいう。
     「この法律は日本国に固有の文化を持ったアイヌ民族が存在することを認め、日本国憲法のもとに民族の誇りが尊重され、民族の権利が保障されることを目的とする」
     五百年余の差別と同化の歴史を超えて、「民族」として立つのだという。
     道知事の諮問機関「ウタリ問題懇話会」は答申の中で述べている。「『先住権』がわが国におけるアイヌ民族の地位を確立するための新法を制定する、一つの有力な根拠になる」


    政治運動する者は,自己欺瞞に陥る。
    さらにある者は,自己欺瞞に陥ったままになる。
    野村義一は,このような者である。

    アイヌ語を生活語とするアイヌ系統者の共同体など存在しないのに,これがあるように思うようになり,「アイヌ語のニュースがテレビやラジオで流れる」を夢想するようになる。
    アイヌ系統者がシャモの中にとうに拡散しているのに,「シャモとの共生」がこれから開始するように思う。
    「日本国に固有の文化を持ったアイヌ民族が存在する」などないのに,あると思うようになり,そしてこれを言ってしまう。


    政治的レトリックは,これを繰り返していると,やがて自分にとって現実のことになる。
    そして,ブレーキのかかることが無ければ,幻想の度合いを強めていく。

    野村義一にブレーキはかからない。
    彼に返ってくるのは,「会場の拍手は鳴りやまなかった」だからである。
    つぎの問いが彼に返ってくることは無い:
      「日本国に固有の文化を持ったアイヌ民族が存在する」と言っているそのアイヌ民族とやらは,どこにいるのか?
    テレビ・ラジオのアイヌ語ニュースをつくれる者がどこにいるかはおくとして,それを視聴する者とやらは,どこにいるのか?

    無惨というほかない。