アイヌの「墓地」は,死体を遺棄する場所である。
それ以上でも以下でもない。
アイヌの墓は詣でるものではない。
しかしそれを言う以前に,アイヌは「どの死体はどこに埋められている」の考えをもたない。
実際,<棄てる>は<今後一切関係しない>であるから,棄てた場所を頭にとどめるということは,あろうはずもないのである(註)。
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久保寺逸彦 (1956), p.172
墓地 tushir,settompa,a-shitoma kotan は、部落近い山の中腹、或は丘陵上等に設けられる。
共同墓地の形はとっているが、一家一区画を占めるという決まりもなく、死者のあるに従い、漸次その隣に一間半乃至二間位の距離を以て墓墳を掘っていったのが古い形式ではなかったか。
何故かとならば、アイヌの古い考方では、墓地は、死体を遺棄 osura する所であり、詣でて祀るところではなかった。
従って、たとえ、墓標を立て、それが残っていても、永い歳月の間には、何人の墓であるか不明になるであろうし、墓標は朽ち倒れてしまうであろうから、無縁仏になってしまうのである。
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なお,久保寺逸彦 (1956) は上文に続けてつぎのように述べるが,これは間違いである:
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同上, p.172
だが、祖霊は、鄭重に、各家の祭壇 nusa-san の前なる祖霊祭祀幣壇 shinurappa-ushi で祀っていたのだから、或る意味では、アイヌは両墓制だと云えるかも知れない。
従って、一区画を限って、そこへ一家の死者を埋葬する必要がなかったからである。
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実際,幣壇の幣は亡者の位牌ではないし,祖霊祭祀は亡者供養ではない。
註: |
風習としての「奇妙」を言うならば,「墓に詣でる」の方が奇妙である。
アニミズムを想うべし。人間以外の生物を想うべし。
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
- 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956.
- 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263
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