Up 「日本国民」に一律化される 作成: 2018-12-06
更新: 2018-12-07


    明治政府になって,アイヌは「日本国民」になる。
    この意味は,「制度的に区別されない (特別扱いされない)」である。

    アイヌが生活の場にしていた土地の召し上げは,全国一律の土地制度の含蓄である。
    新制度によって生活の場を失った者は,他にもいろいろある。
      参考:島崎藤村『夜明け前』第二部下, 第八章

    アイヌに対する入れ墨禁止も,全国一律の入れ墨禁止 (1872) の含蓄である。
    入れ墨は,素肌を曝す職種の者 (沖仲仕,大工・左官,鳶,飛脚,駕籠かき,車夫,等々) のたしなみといったものになっていた。
    文明開化の明治政府は,欧米から後進的と見られるものを無くそうとした。
    そして,入れ墨をそれらの一つに定めたというわけである。
    "アイヌ"イデオロギーの者は,入れ墨禁止をアイヌに対する同化対策と唱えるが,これはデマゴギーである。


    実際,"アイヌ"イデオロギーの者は,この調子で,アイヌ史を歪める。
    著しいのは,『旧土人保護法』の取り上げ様である。

    アイヌの同化は,全国一律の新制度の含蓄である。
    しかし,この全国一律をそのままアイヌに適用すると,ひとにぎりの者 (エリートアイヌ) しかついて来れない。
    そこで,『旧土人保護法』が立てられたというわけである。

    『旧土人保護法』は,アイヌに対する特別扱いである。
    特別扱いは,「差別」である。

    特別扱い無しに生きられる者は,特別扱いを侮蔑と受け取る。
    エリートアイヌは,この論陣を張った。
    ──彼らはその後「観光アイヌ」を批判する者になる。

    しかし,アイヌは多数が特別扱いを要する者であった。
    なぜなら,新制度は,アイヌのこれまでの生業をすべて不可能とするものだったからである。
    『旧土人保護法』の<アイヌ特別扱い=アイヌ差別>の趣旨は,文字通り保護であり,アイヌを貶めることではない。


    アイヌ終焉後に "アイヌ" を自称する者は,<アイヌ特別扱い=アイヌ差別>を要求する者である。
    一方彼らは,「アイヌ差別」糾弾キャンペーンを展開する者である。
    論理矛楯だが,彼らはこの論理矛楯で己の存在を立てねばならない。

    彼らのキャンペーンに応じて,<アイヌ特別扱い>が政治的に処置されてきた。
    そしてこれが,「アイヌ利権」を呼ぶ。

    しかし今日,「困窮」を<アイヌ特別扱い>の理由として立てることはもはやできない。
    「アイヌ差別」も,いまは「アイヌ差別」糾弾キャンペーンがつくり出す虚構である。
    かくして,「アイヌ利権」は,いまは「北海道観光」を立つ瀬とするものになっている。
    この構図/ダイナミクス,よくよく吟味すべし。