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慰撫──国民化
作成: 2017-02-14
更新: 2017-02-14
明治二年五月二十一日の詔
蝦夷は皇国の北門にして山丹満州に接し,略境界ありと雖も北門に至りては中外雑居す。
之に加ふるに
従来官吏の土人を使役する甚だ苛酷
、而して外人頗る愛恤を尽す。
故に土人往々
我を怨望
し,彼を尊信するに至る。
一旦彼民苦を救ふを名として土人を煽動するあらば其の渦延て松前、函館に及ばん。
方今の要務は渦を未然に防ぐにあり。
函館平定の後
速かに開拓教導を蝦夷に施し、人民蕃殖の域となさん
とす。
其利害得失各意見を陳し、忌憚する処ある勿れ。