1946年,『農革法』反対運動の母体/名目たるべく,「北海道アイヌ協会」が設立される。
「北海道アイヌ協会」の名前は,1930年に一度現れている。
その時は,『旧土人保護法』改正運動の母体/名目たるべく,「北海道アイヌ協会」設立が宣言された。
即ち,1930年11月に「北海道アイヌ協会」機関誌として『蝦夷の光』創刊号──喜多真章「編輯人」──が発行されている。(ただし,創刊号では組織名が「北海アイヌ協會」であり,次号から「道」がついて「北海道アイヌ協會」となる。)
この「北海道アイヌ協会」は,喜多真章の主導になるものであり,したがって道庁主導である。
「道庁主導」は,新たに設立の協会にも貫徹される。
実際,道庁と協会は,相利の関係にある。
「北海道アイヌ協会」は,「道庁主導」を受け入れることではじめて利権獲得の団体であることができる。
そして道にとっての「協会」のメリットは,つぎのものである:
- 「アイヌ行政」( "アイヌ" の管理 ) をしやすくする
──「アイヌ協会」が,<中間管理職>の位置づけになる
- 国から「アイヌ保護法」根拠の予算をとる ( →「アイヌ利権」)
1946年設立の「北海道アイヌ協会」は,自身の立ち位置をつぎのように述べている:
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小川佐助/常任理事「アイヌ協會存立の趣旨と使命」
『北の光』, 創刊号, 1948. pp.6-10.
北海道アイヌ協会『アイヌ史 協会活動史編』, 1994. pp.192-196.
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終戦後、私共にも自由が容されたのと同時に、誰れ言うとはなしに、全道一万七千のアウタリーが、此際ほんとうに結束して、自主的に立ち上ろうではないか、如何に弱い者ばかりでも、同志がほんとうに結束して協力したならば従来私共が憎み苦しんで来たことの解決位い、何でも出来ないことがあろうか、先ず団結しようではないか、そして然る後、団体の力でお互ひの向上を図ろうではないか、と言う同じ意識の結集が、そもそも本會が設立された動機であり、目的であったのであります。
唯茲に、被壓迫民族であった我々が、団結したと言うので、従来壓迫して来た和人に対して抗争したり、対立したり、摩擦を起すのが目的であるかの如く、誤解を招く恐れのあることですが、本會は決してそんな狭い量見で発足したのではないと言うことを、此際はっきりお断り致して置きます。
亦丁度本會が設立された頃、色々な政治団体が雨後の筍の様に簇出した折柄であった為め、本會もまた其類の如く誤解を受けた様に聞いて居りますが、決して政治団体でないと言うことは、本會の定款によっても明白でありますが創立以来の行動によっても明かであります。
即ち本會発足の真の精神は、前にも述べました如く、弱いウタリーの為めに、強いウタリーも弱いウタリーも、結束して向上を図ろうと言うのですから、是れこそ真に愛の精神の護露であり、共存共栄の実践でありまして、従ってあくまでも社会事業団体であり、慈善事業団体であります
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