Up 旧土人互助組合 作成: 2017-02-14
更新: 2017-02-15


      喜多章明「旧土人保護事業概説」, 北海道社会事業, 第51号, 1936.
    『アイヌ沿革誌 : 北海道旧土人保護法をめぐって』, pp.79-105.
    pp.81,82
     茲に於て道庁は之が弊害を除き、旁々(かたがた)旧土人の飲酒、浪費の弊風を矯正せんが為に、道内十戸以上を有する土人部落に土人保導委員を設置し、給与地賃貸借契約の整理は勿論、普く弊風の矯正、並に指導教化に当らしめた。 当時嘱託されたる委員は百二十六名であった。
     かく保導委員を設置して給与地の整理を行ひ、保護法の所期する勧農の目的を遂行せんとしたが、複雑なる利害関係者の中に立って之が解決を遂げ、整理を遂ぐるには一保導委員の力、到底及ぶべくもなかった。
    之には、より強力なる機関を要求された。
    仍て道庁では大正十三年所轄市町村長に訓令して、之が整理に当らしめ、その手段方法として市町村長を組合長とする互助組合を設立せしめた。
     組合に対しては旧土人共有財産より資金を委譲し、各土人の負債を償還せしむると共に、旧土人がその給与地を自ら耕作せずして賃貸する場合は、組合長が代って賃貸契約を締結することにし、以て賃貸借の正鵠を期し、併せてその貸地料は組合に於て保管し、浪費を避け有用の途に使用せしむる方途を執った。


      喜多章明「旧土人保護法とともに五十年」
    『コタンの痕跡』, 1971, pp.367-436.
    pp.370,371.
    [旧土人の多くは漁夫、和人の農耕夫、日雇人夫等に雇われ、労働賃金を得て、その日その日の生活を送り、給与地はほとんど和人に賃貸されていた]
     当時道庁の社会課長山本秋広氏は、この問題を取り上げ全道関係市町村長に訓令して給与地賃貸借の整理、賃貸料の保管責任を所轄市町村長に委任し、以て給与地の有効なる管理運用を図らしめた。
     しかしながら当時施行されていた町村制度の性格上、直接町村長がこうした民事問題に介入することは適法でないので、形式上旧土人互助組合と称する別格の団体を設け、町村長を組合長に推戴し、この組合の名に於て執行することにした。
    私は帯広町吏員の職掌上本組合の専務理事という肩書をもらい、二百三十二町歩にわたる給与地賃貸借契約関係の整理に取りかかった。
    賃貸借といっても、口約束で借りたもの、焼酎代の代償に取ったもの、金貸しの質に取ったもの等々、何れも正当な賃料で取引されたものはほとんどない。
    そこで私は、「日本の先進民族たるものが、上御一人の大御心により保護し給う保護民族旧土人の給与地を侵食することは何事ぞ」と、錦の御旗を真正面に押し立てて賃借和人に対決した。
    そして従前の土人対和人間に結ぼれていた賃貸借契約を全部破棄せしめ、全面積の占有権を組合長たる帯広町長岡田熊太郎の手中に接収した。
    接収したる給与地は勧農政策の本旨に従い極力自耕作を奨励すると共に、自作し得ない者については、組合長 (帯広町長) が地主土人に代って賃貸借契約を締結し、得たる貸地料は組合長がこれを保管し、有効なる費途──住宅改善、農具の購入、衣料、治療費──に使用せしむることにした。
    既定の賃貸借契約を一片の行政措置を以て破棄せしむることは今日の時勢下では困難であろうが、当時旧土人等は一箇の土地を二人も三人もに、二重三重に貸し、前借して居り、種々紛争をかもしている矢先でもあったので、組合から賃借する方が確実であり、信用して耕作できるというところから賃借和人側からも此の施設は歓迎され、勧農政策遂行上一応成功を収めたものであった。
     道庁の社会課長山本秋広氏は「我が意を得たり」とばかり打ち歓び早速これをプリントして全道関係市町村長に配付し、これに右に倣えと訓達した。 これがために「帯広伏古旧土人互助組合」の名は当代の此の種の社会に名声をとどろかしたものであった。