ユーカラは伝承されてきたものであるが,その伝承の構えは「史実の伝承」の思いがあってこそのものである:
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久保寺逸彦 (1956), pp.154
ユーカラ一篇を実在した歴史のごとく考えているものも少なくない ‥‥‥
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実際,「ユーカラ=文学=フィクション」の念が入るや,<伝承>は重いものではなくなり,<ひとの求めるイメージに迎合する>へ進むようになる:
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鳩沢佐美夫 (1970), pp.183,184
‥‥‥ あの入院しているユーカラ伝誦のお婆ちゃんの話に戻るが、この管内で観光に依存している人は,多く見積もっても 8074 名いるというアイヌ全体のうち,1%もいればせいぜいだと思う。‥‥‥ あのお婆ちゃんも、病院暮しをする前は、そのうちの一人だった。
このお婆ちゃんは、確かに頭はいいし、色白で美人、そのうえ美声の持主というスターになる要素を多分に持ち合わせている。
それだけに、病院にはいってからも、アイヌ研究者がひきもきらずに訪れたりする。
ね、けれども、さっき、十八歳まで日本語もしゃべれなかった、などと、だんだん本質的なものを失ってしまっているんだ。
[引用者註 : この言の前に,対談相手のつぎの言がある:
「私たちの職場に、アイヌ語や唄を教えに来ているんだ、ときどき──。
あのお婆ちゃんは、十八歳になるまで日本語もしゃべれなかった、って
言っていたよ。」]
いくらか名が知れ渡ると、とにかくいろんな者が訪れてくる。
アイヌ語、あるいは風俗、あるいは歴史、ね、そういった人たちから、同じような質問を、尋問的な形で受ける──。
すると ‥‥‥ 今日的な時限で自分だけの記憶の糸をたぐり寄せる。
というあたりから、フィクションが多分に加味されるわけだ。
と言うのもね、僕の家の近くに、このお婆ちゃんよりお年が上の、‥‥‥ まったく観光ずれのしていないお婆さんがいる。
そのお婆さんに、ユーカラ伝誦の第一人者というお婆ちゃんのユーカラを聞かすと、?‥‥と、首をかしげる。‥‥‥
ね、でも、それを僕は全面的に否定しようというのではない。──
あのお婆ちゃんが生まれたのは明治二十七年だという。
ところが、明治三十六年に、あのお婆ちゃんの生まれたH部落に、アイヌを対象とした四年課程の<土人特殊学校>が建っているんだ。
だからね、お婆ちゃんも当然にひらがなだけは読めるし書けるわけだ。
日本語どころじゃなくね──。
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さらに,「変えたってかまわない」になる:
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同上, p.188
ジョークなのか、アレゴリーなのか、
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昔はアイヌといって、われわれはバカにされた。
今度はひとつ、われわれアイヌを見にくるシャモどもをふんだまかして、うんと金をまきあげてやる。
「なあに、適当なことをやって見せれば、喜んで金を置いていくからな」
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引用文献
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
- 鳩沢佐美夫 (1970) :「対談・アイヌ」
- 『日高文芸』, 第6号, 1970.
- 『沙流川──鳩沢佐美夫遺稿』, 草風館, 1995. pp.153-215
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