Up 和人の昔話 作成: 2019-01-16
更新: 2019-01-16


      久保寺逸彦 (1956), pp.189-191
    Shisam-uwepeker, Sam-uwepeker, Tono-uwepeker (和人の昔話)
    これも、常に、第三人称叙述の形式をとる。
    例えば、
      Pisun machiya kot tono an, kimun machiya kot tono an,
     「浜の町屋を治める旦那と山の町屋を治める旦那とがいた」
    というような形式をとる。
    この種の昔話には、‥‥‥日本語がたくさん中に織り込まれている‥‥‥
    Hatango tono an hine shiran,
    nishpa ne tono ne wa,
    ashur-ash kor an kur ne an ruwene,
    shine matnepo kor ne oka ruwe-ne aike,
    shinean-to ta tapeto-tono ek hine,
    nea hatango tono orta yanto-ne ruwe-ne.

    ‥‥‥ アンダー・ラインの部分はみな、日本語である。

    旅籠屋の旦那があったが、
    大金持ちで評判が高い人だったと。
    一人の娘を持っていたが、
    或る日のこと、
    反物行商人 (アイヌ語で tapeto-tono「旅人殿」の訛り)
    が来て、その旅籠屋に、宿をとったさ。‥‥‥
    ‥‥‥おそらく、内地の説話のあるものが、往時、蝦夷地に入り込んだ和人の口からアイヌに伝えられたり、あるいは奥州に交易に行ったアイヌがそれを将来したりして、多少原型を歪ませたり、アイヌ化を行なったのであろうけれども、丹念に語り伝えているのは、興味深いことと言わねばならない。


    引用文献
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977