Up | 「アイヌ観光」研究の位置づけ : 要旨 | 作成: 2017-01-31 更新: 2017-01-31 |
一方,アイヌを<いま存在しているもの>にしようとする者たちがいる。 過去の存在を<いま存在しているもの>に偽るために,作業することがある。 それは,アイヌの歴史・文化の改竄である。 こうして,アイヌを<いま存在しているもの>にしようとする者たちは,アイヌの歴史・文化の改竄をする者たちである。 アイヌを<いま存在しているもの>にしようとする者たちには,2種類ある。 一つは,「アイヌ」を政治利用しようとする者たちである。 彼らの思考法は,「人民革命」イデオロギーに溯る。 「人民革命」イデオロギーは挫折する。 「人民」は革命に立ち上がってくれないからである。 彼らは,「人民」は革命の担い手としては弱いということで,「窮民」を立てる。 このとき「窮民」として立てられたのが,「部落」と「アイヌ」であった。 彼らは「部落解放闘争」「アイヌ解放闘争」を掲げる。 それは 1970年前後の頃のことであるが,「窮民救済」は政治のポジションとして普遍的である。 こうして,「アイヌ」の政治利用は,連綿と続く。 アイヌを<いま存在しているもの>にしようとする者たちのもう一つは,「アイヌ」を経済利用しようとする者たちである。 特に,「アイヌ」ブランドを立てて商売しようとする者たちである。 この商売は,大きく「アイヌ観光」のことばで括られる。 政治利用・経済利用の二つの勢力は,決定的に矛盾する面を持ちながらも,《アイヌを<いま存在しているもの>にする》においては立場が同じということになるので,互いに他を,利用できるところでは利用しようとする。 この捻れのダイナミクスが,複雑な生態模様を現してくることになるのである。 「アイヌ」の政治・経済利用は,「アイヌ」のなり手がいて,成り立つことである。 なり手は,少数であるが,いる。 「アイヌ」の政治・経済利用には,この少数を大きく見せることが含まれる。 「アイヌ」のなり手は,「アイヌを<いま存在しているもの>にしようとする者たち」のカテゴリーに属するから,上に述べた2分類になる。 しかし,「アイヌ」利用が政治利用の場合でも,これを生活の糧 (の一部) にしているのならば,経済利用ということになる。 実際,「アイヌ」のなり手の立場は,微妙である。 彼らは,自分のアイデンティティーの立て方に悩むことになる者たちである。 「アイヌ観光」は,以上の文脈で研究対象となるものである。 「アイヌ観光」研究の構えは,生態学である。 |