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川上勇治 (1976), pp.48,49
明治は終り、そのころ政府は、日清日露の戦役のために三井三菱の財閥から借りた軍資金の返済に困っていた。
アイヌたちは、ぺナコリの裏山で焚木を取り、チセ(家)の材料を切りだし、山菜を摘みなど山の資源に不自由なく暮していたが、政府はなんとその山を、アイヌたちがまったく知らないうちに、三井に返済金として売り渡してしまったのである。
そればかりか、沙流川対岸の山林も、いつのまにか国有林になってしまった。
こうなる以前、アイヌたちは北海道全域をアイヌモシリとして、だれはばかることなく自由に山野を駆けめぐり狩猟民族として生き続けてきたわけである。
たとえば沙流川の各枝川の場合、ソウシベツはアパカアイヌのイオル (狩猟の場所)(註)、シュクシュペツはイトンビヤのイオル、ユツルペシベはコウタロアチャボのイオルというぐあいに、全部イオルを定め区画を割り当ててあった。
そしてひとりひとりが自分のイオルで自由に狩猟を続け、他人のイオルを犯すことなく、りっぱなイレンカ (掟) を持ち、それを守ってきた。
守らない者がいれば、チャランケ (談判) を行い、それに負けた者にはきびしい体罰やつぐないがあった。
アイヌの間にもりっぱに法律は生きていたのである。
また、狩猟に使う矢尻には必ず、アイシロシ (矢につけてある印) をきざみこんだ。
自分のイオル内で鹿などへ矢を打ちこんでも、矢の毒が鹿の体にまわらないで、他人のイオルに鹿が逃げこんだ場合などにこのアイシロシが役にたった。
というのは、鹿が逃げこんだ先のイオルの持主が、矢のアイシロシを見れば鹿の持ち主がわかったからである。
そうして、鹿は持ち主のところへ届くのだが、たまにアイシロシを見ても見ぬふりをして、鹿をねこぱばする者があった。
こういうことが後で発覚したときなど、一騒動もちあがって大変なことになった。
しかし、アイヌたちなりにこうしてうまくいっていた生活も、コタンの近くの山々が次々に固有林にまた三井山林になっていくに従がって、くずれていった。
山へはいることさえできなくなって、アイヌたちはすっかり困ってしまった。
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註: |
イオルを「狩猟の場所」としているのは,誤り。
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地租改正で,所有者のいない土地は存在しないことになる。
北海道は,「この区画の土地はわたしの名義になるべき土地だ」と主張される土地以外は,国有地になる。
アイヌは,この土地所有制度になじまない。
狩猟採集生活は,土地はだれのものでもある。
アイヌは,広大な土地を自分の自由にしてきた。
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松浦武四郎 (1860), p.756
‥‥ 土人ブヤツトキと云ふ當年五十二歳、‥‥ 常に山野に走り廻りて、唯獵業を好みて運上屋の稼の間には唯熊を追てはテシオ川へ越え、鹿を追てはトカチ、ユウハリの岳にまでも堅雪の上を渉り行くこと比隣の如く、朝に家を出てはタはサヲロ トカチ領なり に夜を明し、またのタはクスリ、トコに越るをもことゝも思はず、足跡さへ見當りなば一疋にても是を取り迯(逃)せしと云ふ ‥‥
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自分が自由にできるということは,他の者も自由にできるということである。
アイヌ一人ひとりは,「この区画の土地はわたしの名義になるべき土地だ」と主張できるような土地をもたない。
コタンないし部族単位でも,「この区画の土地はわれわれ (法人) の名義になるべき土地だ」と主張できるような土地をもたない。
要点:<これまで使ってきた>は,<私有している>とイコールではない。
かくして,アイヌは土地を所有しない者になる。
その状態で,いまは国有地になった土地で,これまでの生活のやり方を続ける。
この生活は,続かない。
国有地は,国の開拓政策に使われる。
払い下げられて,民有地になる。
そして,民有地になった土地からアイヌが締め出される。
引用文献
- 川上勇治 (1976) :『サマウンクル物語』, すずさわ書店, 1976.
- 松浦武四郎 (1860) :『近世蝦夷人物誌』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.731-813.
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