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高倉新一郎 (1959), pp.47,48
毎年春になると、諸国から蝦夷目当の交易品を積んで商船が城下に集まって来る。
藩及び藩士はこれらの品物を買集める船を用意し、舶の出入りを取締る沖口役所の許可を受けて各目的地に向って出航する。
船には船頭・船子の外に蝦夷交易を指揮監督する者が一人、藩船では藩士が二人程上乗役として乗込む。
それに両者の意思を疎通する通詞その他が乗込んで行く。
目的地に着くと、用意をして、監督が中心になってオムシャを行い、蝦夷を集める。
蝦夷は貯えた産物もしくは獲た土産を持って来て交換を行う。
交易は全く物々交換であるが、交換比率は米で決められていた。
交易は最初船中又は海浜などで行われていたかも知れない。‥‥
しかし、交易がやや長期にわたると、運上屋と呼ぶ交易所が設立され、交易はそこで常時行われるようになった。
蝦夷の交易品を見ると、
鮭・鯨・鱒・鱈・串貝・昆布・えぶりこ
等のように、比較的豊富に存在していて、漁獲法の改良や拡大によって増加し得るものと、
白鳥・鶴・鷲・熊・鹿・鯨・海獣・鷲羽
等のように大量生産を望めないものとがある。
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引用文献
- 高倉新一郎 (1959) :『蝦夷地』, 至文堂 (日本歴史新書), 1959
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