Up ユカル (英雄伝) 作成: 2016-12-25
更新: 2019-11-15


    (1) 説話
      説話 英雄伝 (「ユカル」)
      縁起 神語り
      (「カムイ・ユカル」)
      昔話 (「オイナ」) 散文
      勧善懲悪 「ペナンペ・パナンペ」構成


    (2) 「ユカル」
      高倉新一郎 (1974 ), p.259
    アイヌの口頭伝承として有名なのはユーカラである。
    ユーカラはまたサコロベ・ハウなどとも呼び、
    特に神の遺児として育てられた若者の数奇な運命を、その自叙の形で伝えた叙事詩である。
    我が国では古来、蝦夷浄瑠璃などと呼ばれ、主人公を源義経に結びつけて義経蝦夷地渡来伝説の一つの証拠とされた。

      久保寺逸彦 (1956), pp.150,151
    人間の英雄をヒーローとする、いわゆる「ユーカラ」の名で知られている英雄詞曲には、種々のものがある。
     (1) 胆振および、日高・沙流地方などでいう Yukar、
     (2) 胆振から渡島へかけての Yaierap, Yairap、
     (3) 十勝・釧路・北見などで行われるSakorpe、
     (4) 日高その他で行われる Hau、
     (5) 樺太でいう Hauki
    などが、それである。‥‥‥
    最上徳内( 白虹斎)序、上原熊治郎編『蝦夷方言藻汐草』(一八O四年刊、再販) の世事部には、「軍談浄瑠璃ユーガリ」「騒動浄瑠璃サコルベ」と見えている。‥‥‥
    かく名称は異なっても、吟誦の仕方も、内容も、ほとんど同一で、一篇の主人公の名と発祥の地を異にするに過ぎない。 すなわち、
    (1) の Yukar においては、Shinutapk を発祥地とし、主人公は、Poi-Shinutapka-un-kur「小シヌタップカ人」。 シヌタップカの城主 Shinutapka-un-kur の子、(あだ)名して Poi-Yaunpe (小さい本土の者、小さい我が国の者) と呼ぶ少年であり、
    (2) の Yaierap は、Otasam (「砂の側、すなわち砂丘の傍」の義) の地を発祥地とし、Pon-Otasam-un-kur (小オタサム人、オタサムの城主の子) を主人公とし、
    (3) の Sakorpe は、発祥地も主人公も全く (2) に同じい。
    (4) の Hau においては、発祥地が Otashut (「砂丘の麓」の義)、もしくは Otasam であり、主人公は Pon-Otashutunkur (小オタストゥ人) もしくは、Pon-Otasamunkur であり、
    (5) の樺太の Hauki は、Otashut の地を根拠地とし、Pon-Otashutun-kux (ポノタシュトゥンク) をヒーローとしている。

     『KUTUNE SIRKA』/鍋沢元蔵


    (3) 形(かた) ──生成
    ユカルは,演者によって,また同じ演者でも一回一回,ことばが違ってくる。
    それは,ユカルの<謡う>が,詞曲の生成だからである。
    長大なユカルを延々と謡うことがなぜ可能かというと,<生成>をやっているからである。

    <生成>を導いているのは,形(かた) である。
    ユカルの構成は,歌と同じである。
    ユカルは,大同小異のエピソードを重ねていくが,これは歌の1番,2番,‥‥‥ に相当する。
    エピソードの「大同小異」は,歌の1番,2番,‥‥‥ が同じ形式であることに相当する。

    歌には,サビ (モチーフ) がある。
    歌はサビに向かうように構成されている。
    ユカルでは<リフレイン>の部分が目立つが,これが歌のサビに当たる。

      久保寺逸彦 (1956), pp.158-169
    例1 小英雄の育った山城の宏麗な様を叙する常套句
    Tanepo tapne
    iresu chashi
    soikesama
    ayaiamkire
      今し初めて
    我が育ちたる山城の
    外の面のたたずまひを
    我自ら知る
    chashi hetap
    nepne kunip
    pirka ruwe
    oka nankor'a
    aeramishikari.
    Hushko ash rashu
    rash·emaknakur
    roshki kane
    ashir ash rashu
    rash·tap·riki
    roshki kane
    hushko rashu
    kunne nish ne
    ashin rashu
    retan nish ne
      山城かこれ
    何たる
    安麗さにて
    あることならん
    言ひ知らず。
    古く立つ柵は
    柵ゆがみて
    立ち
    新しく立つ柵は
    柵のいただき高く
    立ちて
    古き柵は
    黒雲のごとく
    新たなる柵は
    白雲のごとく
    chash-enka
    eonishtakur
    pukte kane
    anramasu
    anwesuye_
    Rikun sakma
    chirashkorewe
    ranke sakma
    tu-toyankuttum
    chi-orente_
    Ranke oppui
    erum-sui-ne
    rikun oppui
    chikappo-suine
    uwetuimakur
      山城の上に
    一群の雲を
    立ちわたらせたり
    あら美しや
    あら楽しや。
    上なる柵の渡し木は
    柵のままに畝り
    下なる柵の渡し木は
    土中深く
    埋もれたり。
    下なる綱目(つなめ)
    鼠巣くひ
    上なる綱目
    小鳥巣くひて
    ところどころ間遠に
    kurok-kurok.
    Oppui-karpe
    chirpo-hau ne
    uwetunuise
    tununitara.
      陰影を作りて黒みわたりたり。
    綱目にあたる風は
    千鳥の声なして
    相和して響き
    美しき調べを奏でたり。


    例2 小英雄が臥床について、眠ろうとしても眠りかねる場合を叙する時の常套句。
    Mokor pokaiki
    a-ewen kane
    shotki-asam-ampa kamui
    ieriknakur
    otke pekor
    amanempok
    ampa kamui
    ieranakur
      少しの眠りも
    我なし難く
    臥床の底を()る神
    我を上へ
    こづき上げ
    梁の下を
    領しる神は
    我を下に
    otke pekor
    yainu-an kane
    emko kusu
    mokor pokaiki
    aetoranne
    shotki kurka
    a -ko-shikirmampa······.
      つき下ろすやうに
    我思はれて
    そのため
    少し眠ることさへ
    わづらはしく
    臥床の上へ
    われ寝返りを打つ‥‥‥。

    例3 小英雄が山狩りに行き、鹿が草を食むを見る時の常套句。
    Toi shi-apka
    ipekonampe
    komoinatara
    hanke-ukpe
    ko-kirau-riki
    pumpa kane
      大牡鹿の奴
    草を食む様の
    静けさよ
    近き草を食むとては
    角を高々と
    起こし立て
    tuima-ukpe
    ko-kirau-shika
    omare kane ‥‥‥
      遠き草を食むとては
    角を己が背の上に
    打ち伏せつつ ‥‥‥。


    例4 小英雄が敵陣に押し寄せる時、その憑き神を伴ない轟音をとどろかし、地上に、暴風を起こして行く様の常套句。
    Nep kamuye
    nep pitoho
    ituren rok kusu
    ikurkashke
    kohum-epushpa.
    Tapan kamui-mau
    yupke hike
    moshir-so kurka
    eweshururke
      何神の
    如何なる神の
    我に憑けるとてや
    我が真上に
    音を鳴り轟かしむる。
    これなる神風の
    激しきが
    国土の(おもて)
    渦巻き荒るれば
    emko-kusu
    kantoi-karpe
    ko-turimimse
    iwatek-karpe
    kosepepatkL
    awa kina
    kina chinkeushut
    kamui-mau pumpa
    kamui-mau soshpa
    wen toira
    wen-munira
    kamui-mau etoko
    ewehopuni
    emko-kusu
    wen toira
      そがために
    地面の上打つ風は
    とどろと鳴りとよみ
    山の支山(はしりで)打つ風は
    はためき騒ぐ
    生ひいづる青草
    根は根こそぎに
    神風吹き上げ
    神風吹きめくる
    はげしき土挨に
    草の吹きちぎれ
    おもて神風の(おもて)
    互ひに吹き上げたり
    そが故に
    はげしき土挨に
    a-yaikopoye
    arpa-an humi
    a-ekisar-shutu
    ko-mau-kurur.
      我が身を混じへ、
    我が行く音
    我が耳の根に
    風まき起こる。
     (金田一京助博士『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』第2冊、232ページより引用)


    例5 一騎討ちの決闘を叙する常套句。
    Moshir-so kurka
    niwen chinika
    i-koturikar
    iyonuitasa
    niwen chinika
    a-koturikar
    hoshkinopo
    i-chiu-op kuri
      大地の上に
    猛き足踏みを
    (彼)我に延ばし
    こなたよりも
    猛き足踏みを
    我延ばしたり
    真先に
    我を突き来る矛の蔭
    i-yannukamu
    op-kurpoki
    a-ko-henkuror
    e-shitaiki
    kasa-so-ka
    op-teshke hum
    tununitara.
    Op-kurpoki
    a-op-kotesu
    a-mukchar-tuye
    a-shir-ko-otke
    shiunin omke
    kotash-nittom
    e-shitaiki,
    etーihu kushpe
      我にかぶさり来る
    この矛の下を
    我前へ屈みて
    はたと伏せば
    兜の上に
    矛すベる音
    鏗爾(こうじ)
    彼が矛の下に
    我が矛の目当てをつけ
    我(彼)のみづおちを切って
    (我)ぐざと突き刺せば
    重々しきしはぶき
    ()せかへりて
    くわっと(ほとばし)り、
    彼の鼻より出づる血は
    num-ne turse
    paroho kushpe
    para tepa ne
    ashirikinne
    i-kachiu hita
    op-etoko
    a-ko·notak-nu
    a-penramkashi
    op-tesure
    rapokke ta
    emush-ani tek
    a-kopeka·kar
    urepetkashi
    a-ko-oterke
    herikashi wa
      粒々なして落ちこぼれ
    彼の口よりいづる血は
    幅広の赤褌を口から吐くやう
    新たにまた
    (彼が)我を突き来る
    矛さきに
    我身をそばめ
    我が胸の上に
    矛をそらしめ
    そのをりに
    刀を執る手
    我むづと摑み
    足の甲の上を
    我踏みつけ
    上の方より
    herashi wa
    chepatatne
    ayaimompok
    tushmak kane
    sampe-kechip
    ashirikinne
    ikachiu hita
    shish poka
    a-etoranne
    imukchattuye
    ishirkootke
    shiunin omke
    akotashnittom
    eshitaiki
    a-etuhu
      下の方より
    魚を割くごとく
    我が手許
    疾く競へば
    うめき苦しむ彼
    またさらに
    我を衝き来る時
    避けんも
    面倒くさく(突かせをれば)
    我が鳩尾を切り
    我をしたたに刺す
    重々しきしはぶき
    わがつく息のひまに
    くわっと(ほとばし)
    我が鼻を
    kushpe
    num-ne turse
    aparoho
    kushpe
    para-tepa ne
    annikippo
    iemontasa, ‥‥‥
      迸る血は
    どろどろに落ちこぼれ
    我が口を
    通る血は
    幅広の赤褌のごとく
    我が勝ち誇れるままを
    我に仕返し、‥‥‥


    (4) ユカルの席
      菅江真澄 (1791), pp.551-555.
    夜さりになれば、アヰノどもの来つゝ音曲(ユウガリ)をかたる。
    そのさまを見れば煙草匣(たばこけ)を枕として、のけざまになりて、(ハリキ)(けま)を延べて(シモン)(すね)を左の股にのせて、左の手して(ヌカ)をおさへ、あるはかざし、右の手をもて胸を敲き、あるは(たゝむき)をして脅腹をうち叩き、獣のうなるやうにたゞ、ううと唄ふやうなれど、
    この事や面白かりけん、聞つつ居ならびたるアヰノども、烟管(きせる)()したる一尺(ひとさか)にあまる細き木して、おしきの底、板じきなどをうち鳴らして、ほうし(拍子)とり、ハオハオとこゑをそろへて、あまたのアヰノがはやしぬ。
     ‥‥
    音曲(ユウガリ)、あるは使者(シヨンゴ)(イタク)、あるはチヤアラゲのイタクとて詞正しうものいひ、 のとき、話るときには、ふるき訳辞(わさと)も耳遠き言葉のみあまたにて、聞うることあたはぬすぢすぢ多ければ、かくぞ解き聞えたる。
     ‥‥
    これを外面に立聞しつるメノコども涙やこぼしけむ、アツシの袖に(ナノ)ふたぎ、(シキ)をすりてたゝずむが、夕月夜の光にてよくも見やられたり。
     ‥‥
    ユウカリしたるアヰノもおきあがり、あるじ酒出しぬれば、れいのふりに飲つつ、更てヲマンとて去る。


      谷元旦 (?)


      砂沢クラ (1983), pp.123,124
     幸恵さんは小さい時からユーカラも上手にしました。 私が初めて幸恵さんがユーカラをするところを見たのは、幸恵さんが小学校の四年生ぐらいの時でした。
     金成さんのお母さんのモナシノウクフチが遊びに来ていて、母がフチに「ユーカラを聞かせて」と何度も頼んだのですが、フチは恥ずかしがってなかなか始めません。 すると、幸恵さんが「じゃあ、私がする」と言って、座布団をまくらにしてあおむけに寝てユーカラを始めました。 フチが「起きてしなさい」と言って、幸恵さんを起こしていた姿がいまも目に浮かびます。




    引用文献
    • 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
    • 谷元旦 (?) :『蝦夷紀行附図』
    • 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
      • 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
    • 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
    • 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983