(1) 説話
説話 |
英雄伝 (「ユカル」) |
詩 |
縁起 |
神語り (「カムイ・ユカル」) |
昔話 (「オイナ」) |
散文 |
勧善懲悪 |
「ペナンペ・パナンペ」構成 |
(2) 「ユカル」
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高倉新一郎 (1974 ), p.259
アイヌの口頭伝承として有名なのはユーカラである。
ユーカラはまたサコロベ・ハウなどとも呼び、
特に神の遺児として育てられた若者の数奇な運命を、その自叙の形で伝えた叙事詩である。
我が国では古来、蝦夷浄瑠璃などと呼ばれ、主人公を源義経に結びつけて義経蝦夷地渡来伝説の一つの証拠とされた。
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久保寺逸彦 (1956), pp.150,151
人間の英雄をヒーローとする、いわゆる「ユーカラ」の名で知られている英雄詞曲には、種々のものがある。
(1) 胆振および、日高・沙流地方などでいう Yukar、
(2) 胆振から渡島へかけての Yaierap, Yairap、
(3) 十勝・釧路・北見などで行われるSakorpe、
(4) 日高その他で行われる Hau、
(5) 樺太でいう Hauki
などが、それである。‥‥‥
最上徳内( 白虹斎)序、上原熊治郎編『蝦夷方言藻汐草』(一八O四年刊、再販) の世事部には、「軍談浄瑠璃ユーガリ」「騒動浄瑠璃サコルベ」と見えている。‥‥‥
かく名称は異なっても、吟誦の仕方も、内容も、ほとんど同一で、一篇の主人公の名と発祥の地を異にするに過ぎない。
すなわち、
(1) の Yukar においては、Shinutapk を発祥地とし、主人公は、Poi-Shinutapka-un-kur「小シヌタップカ人」。
シヌタップカの城主 Shinutapka-un-kur の子、綽名して Poi-Yaunpe (小さい本土の者、小さい我が国の者) と呼ぶ少年であり、
(2) の Yaierap は、Otasam (「砂の側、すなわち砂丘の傍」の義) の地を発祥地とし、Pon-Otasam-un-kur (小オタサム人、オタサムの城主の子) を主人公とし、
(3) の Sakorpe は、発祥地も主人公も全く (2) に同じい。
(4) の Hau においては、発祥地が Otashut (「砂丘の麓」の義)、もしくは Otasam であり、主人公は Pon-Otashutunkur (小オタストゥ人) もしくは、Pon-Otasamunkur であり、
(5) の樺太の Hauki は、Otashut の地を根拠地とし、Pon-Otashutun-kux (ポノタシュトゥンク) をヒーローとしている。
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『KUTUNE SIRKA』/鍋沢元蔵
(3) 形(かた) ──生成
ユカルは,演者によって,また同じ演者でも一回一回,ことばが違ってくる。
それは,ユカルの<謡う>が,詞曲の生成だからである。
長大なユカルを延々と謡うことがなぜ可能かというと,<生成>をやっているからである。
<生成>を導いているのは,形(かた) である。
ユカルの構成は,歌と同じである。
ユカルは,大同小異のエピソードを重ねていくが,これは歌の1番,2番,‥‥‥ に相当する。
エピソードの「大同小異」は,歌の1番,2番,‥‥‥ が同じ形式であることに相当する。
歌には,サビ (モチーフ) がある。
歌はサビに向かうように構成されている。
ユカルでは<リフレイン>の部分が目立つが,これが歌のサビに当たる。
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久保寺逸彦 (1956), pp.158-169
例1 小英雄の育った山城の宏麗な様を叙する常套句
Tanepo tapne
iresu chashi
soikesama
ayaiamkire
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今し初めて
我が育ちたる山城の
外の面のたたずまひを
我自ら知る
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chashi hetap
nepne kunip
pirka ruwe
oka nankor'a
aeramishikari.
Hushko ash rashu
rash·emaknakur
roshki kane
ashir ash rashu
rash·tap·riki
roshki kane
hushko rashu
kunne nish ne
ashin rashu
retan nish ne
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山城かこれ
何たる
安麗さにて
あることならん
言ひ知らず。
古く立つ柵は
柵ゆがみて
立ち
新しく立つ柵は
柵のいただき高く
立ちて
古き柵は
黒雲のごとく
新たなる柵は
白雲のごとく
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chash-enka
eonishtakur
pukte kane
anramasu
anwesuye_
Rikun sakma
chirashkorewe
ranke sakma
tu-toyankuttum
chi-orente_
Ranke oppui
erum-sui-ne
rikun oppui
chikappo-suine
uwetuimakur
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山城の上に
一群の雲を
立ちわたらせたり
あら美しや
あら楽しや。
上なる柵の渡し木は
柵のままに畝り
下なる柵の渡し木は
土中深く
埋もれたり。
下なる綱目
鼠巣くひ
上なる綱目
小鳥巣くひて
ところどころ間遠に
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kurok-kurok.
Oppui-karpe
chirpo-hau ne
uwetunuise
tununitara.
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陰影を作りて黒みわたりたり。
綱目にあたる風は
千鳥の声なして
相和して響き
美しき調べを奏でたり。
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例2 小英雄が臥床について、眠ろうとしても眠りかねる場合を叙する時の常套句。
Mokor pokaiki
a-ewen kane
shotki-asam-ampa kamui
ieriknakur
otke pekor
amanempok
ampa kamui
ieranakur
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少しの眠りも
我なし難く
臥床の底を領る神
我を上へ
こづき上げ
梁の下を
領しる神は
我を下に
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otke pekor
yainu-an kane
emko kusu
mokor pokaiki
aetoranne
shotki kurka
a -ko-shikirmampa······.
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つき下ろすやうに
我思はれて
そのため
少し眠ることさへ
わづらはしく
臥床の上へ
われ寝返りを打つ‥‥‥。
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例3 小英雄が山狩りに行き、鹿が草を食むを見る時の常套句。
Toi shi-apka
ipekonampe
komoinatara
hanke-ukpe
ko-kirau-riki
pumpa kane
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大牡鹿の奴
草を食む様の
静けさよ
近き草を食むとては
角を高々と
起こし立て
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tuima-ukpe
ko-kirau-shika
omare kane ‥‥‥
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遠き草を食むとては
角を己が背の上に
打ち伏せつつ ‥‥‥。
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例4 小英雄が敵陣に押し寄せる時、その憑き神を伴ない轟音をとどろかし、地上に、暴風を起こして行く様の常套句。
Nep kamuye
nep pitoho
ituren rok kusu
ikurkashke
kohum-epushpa.
Tapan kamui-mau
yupke hike
moshir-so kurka
eweshururke
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何神の
如何なる神の
我に憑けるとてや
我が真上に
音を鳴り轟かしむる。
これなる神風の
激しきが
国土の面に
渦巻き荒るれば
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emko-kusu
kantoi-karpe
ko-turimimse
iwatek-karpe
kosepepatkL
awa kina
kina chinkeushut
kamui-mau pumpa
kamui-mau soshpa
wen toira
wen-munira
kamui-mau etoko
ewehopuni
emko-kusu
wen toira
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そがために
地面の上打つ風は
とどろと鳴りとよみ
山の支山打つ風は
はためき騒ぐ
生ひいづる青草
根は根こそぎに
神風吹き上げ
神風吹きめくる
はげしき土挨に
草の吹きちぎれ
おもて神風の面に
互ひに吹き上げたり
そが故に
はげしき土挨に
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a-yaikopoye
arpa-an humi
a-ekisar-shutu
ko-mau-kurur.
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我が身を混じへ、
我が行く音
我が耳の根に
風まき起こる。
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(金田一京助博士『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』第2冊、232ページより引用)
例5 一騎討ちの決闘を叙する常套句。
Moshir-so kurka
niwen chinika
i-koturikar
iyonuitasa
niwen chinika
a-koturikar
hoshkinopo
i-chiu-op kuri
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大地の上に
猛き足踏みを
(彼)我に延ばし
こなたよりも
猛き足踏みを
我延ばしたり
真先に
我を突き来る矛の蔭
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i-yannukamu
op-kurpoki
a-ko-henkuror
e-shitaiki
kasa-so-ka
op-teshke hum
tununitara.
Op-kurpoki
a-op-kotesu
a-mukchar-tuye
a-shir-ko-otke
shiunin omke
kotash-nittom
e-shitaiki,
etーihu kushpe
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我にかぶさり来る
この矛の下を
我前へ屈みて
はたと伏せば
兜の上に
矛すベる音
鏗爾。
彼が矛の下に
我が矛の目当てをつけ
我(彼)のみづおちを切って
(我)ぐざと突き刺せば
重々しきしはぶき
息咽せかへりて
くわっと迸り、
彼の鼻より出づる血は
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num-ne turse
paroho kushpe
para tepa ne
ashirikinne
i-kachiu hita
op-etoko
a-ko·notak-nu
a-penramkashi
op-tesure
rapokke ta
emush-ani tek
a-kopeka·kar
urepetkashi
a-ko-oterke
herikashi wa
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粒々なして落ちこぼれ
彼の口よりいづる血は
幅広の赤褌を口から吐くやう
新たにまた
(彼が)我を突き来る
矛さきに
我身をそばめ
我が胸の上に
矛をそらしめ
そのをりに
刀を執る手
我むづと摑み
足の甲の上を
我踏みつけ
上の方より
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herashi wa
chepatatne
ayaimompok
tushmak kane
sampe-kechip
ashirikinne
ikachiu hita
shish poka
a-etoranne
imukchattuye
ishirkootke
shiunin omke
akotashnittom
eshitaiki
a-etuhu
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下の方より
魚を割くごとく
我が手許
疾く競へば
うめき苦しむ彼
またさらに
我を衝き来る時
避けんも
面倒くさく(突かせをれば)
我が鳩尾を切り
我をしたたに刺す
重々しきしはぶき
わがつく息のひまに
くわっと迸り
我が鼻を
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kushpe
num-ne turse
aparoho
kushpe
para-tepa ne
annikippo
iemontasa, ‥‥‥
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迸る血は
どろどろに落ちこぼれ
我が口を
通る血は
幅広の赤褌のごとく
我が勝ち誇れるままを
我に仕返し、‥‥‥
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(4) ユカルの席
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菅江真澄 (1791), pp.551-555.
夜さりになれば、アヰノどもの来つゝ音曲をかたる。
そのさまを見れば煙草匣を枕として、のけざまになりて、左の脚を延べて右の脛を左の股にのせて、左の手して額をおさへ、あるはかざし、右の手をもて胸を敲き、あるは肘をして脅腹をうち叩き、獣のうなるやうにたゞ、ううと唄ふやうなれど、
この事や面白かりけん、聞つつ居ならびたるアヰノども、烟管架したる一尺にあまる細き木して、おしきの底、板じきなどをうち鳴らして、ほうし(拍子)とり、ハオハオとこゑをそろへて、あまたのアヰノがはやしぬ。
‥‥
音曲、あるは使者の詞、あるはチヤアラゲのイタクとて詞正しうものいひ、
のとき、話るときには、ふるき訳辞も耳遠き言葉のみあまたにて、聞うることあたはぬすぢすぢ多ければ、かくぞ解き聞えたる。
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これを外面に立聞しつるメノコども涙やこぼしけむ、アツシの袖に顔ふたぎ、眼をすりてたゝずむが、夕月夜の光にてよくも見やられたり。
‥‥
ユウカリしたるアヰノもおきあがり、あるじ酒出しぬれば、れいのふりに飲つつ、更てヲマンとて去る。
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谷元旦 (?)
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砂沢クラ (1983), pp.123,124
幸恵さんは小さい時からユーカラも上手にしました。
私が初めて幸恵さんがユーカラをするところを見たのは、幸恵さんが小学校の四年生ぐらいの時でした。
金成さんのお母さんのモナシノウクフチが遊びに来ていて、母がフチに「ユーカラを聞かせて」と何度も頼んだのですが、フチは恥ずかしがってなかなか始めません。
すると、幸恵さんが「じゃあ、私がする」と言って、座布団をまくらにしてあおむけに寝てユーカラを始めました。
フチが「起きてしなさい」と言って、幸恵さんを起こしていた姿がいまも目に浮かびます。
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引用文献
- 菅江真澄 (1791) :『蝦夷迺天布利』
- 『菅江真澄集 第4』(秋田叢書), 秋田叢書刊行会, 1932, pp.493-586.
- 谷元旦 (?) :『蝦夷紀行附図』
- 久保寺逸彦 (1956) :「アイヌ文学序説」, 東京学芸大学研究報告, 第7集別冊, 1956
- 『アイヌの文学』(岩波新書), 岩波書店, 1977
- 高倉新一郎 (1974 ) : 『日本の民俗 1北海道』, 第一法規出版社, 1974
- 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983
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