Up 作成: 2017-03-05
更新: 2019-11-12


    (1) 八百万の神
    アニミズムは,事物の生起・変化を神の作為にする。
    このとき,事物全体を統べる神を立てるのではなく,事物ごとに神を立てる。
    事物は無際限にあるから,神も無際限にある。
    アニミズムの神は,八百万の神である。


    (2) 人の写し
    「思う・行う」を人の格好でしか想像できないとき,神は人の写しになる。
    アイヌの神は,この場合である。

      久保寺逸彦 (1956), pp.248,249
    アイヌの神は、決して全知全能な超自然的な神ではない。
    極めて人間的な神で、いわば人間生活をそのまゝ写象したものに過ぎない。
    勿論、一般的には、神々の勢能は、人間のそれより遥かに優れてはいるが、時には、人間の声援・協力を必要とする様な脆弱な一面もあるのである。
    神々は、尠くとも、人間の手に依って祀られ、その好む木幣 inau、や酒を享け、禱詞を捧げられることによって、始めて神たり得るといえる。
    だから、人間から祀りを等閑にされたり、途絶されたりすることは、神の面目を失態することにもなる。
    神々は人間が祀ってくれる代償として、人間に幸運を恵み、その生命と生活の安全を守護するのである。
    つまり、人の世は、神々と人間との共存共栄の生活をなす場と考えられているのである。

      知里真志保 (1947), pp.65,66
    神々わ、その本国に於てわ、人間と同じ姿で、人間と全く同様の生活お営んでいるのであるが、人間の国土に用事があつて出て来る時に限って、それぞれの動物の姿おした肉体を権りて来るのである。神々が人間の国土え出かける時にわ、家の壁際の衣桁から、各自に特有な扮装(「ハよペ」)――熊神の如き獣神ならばそれに特有な獣衣(「る」)、鮭神や鷲神の如き魚鳥神ならばそれぞれに特有な魚鳥衣(「う」)――お取り下ろして身に着けて来るのである。その様にして出かけるのが、人間の目にわ、それぞれ熊だの鮭だの鷲だのの姿に映ずるのである。
     すなわち知る、我々が現実に見る動植物の形態わ、あれわ神々が人間の国土に出て来る時に限って取る権化の姿――仮の肉体――なのである。この肉体わ、神が人間に持って来る土産――神ずとと考えられている。アイヌが他村え行く時にわ決して手ぶらでわ行かないよぉに、神々も人間の村え手ぶらでわ来ないのである。熊や鮭の体わ、アイヌの考えによれば、神々から頂いたお土産なのであるから、その皮お剥いで食うのわ、むしろ神意に副う所以なのである。
     以上わ、宗教人としてのアイヌの考え方――信仰なのである。この信仰の背後にわ、これらの魚類や獣類お生活の資料として欠くことのできなかった、生活人――漁撈人乃至狩猟人――としての、アイヌの古い姿が、仄かに動いているのである。
     アイヌに於ける神の観念わ、結局この生活人としての立場と宗教人としての立場との、巧妙な調和の上に成立しているのである。

      知里真志保 (1955), pp.118-122.
     神話は人間の村を訪れる神々の物語なのであります。
    ここでは、そのような物語の中に示されている神々の生活に対するアイヌの考え方を吟味して、そのような考え方が、どのような歴史的背景に於て形成されてきたものであるか、というようなことを明らかにしてみようと思います。
     神々の生活に対するアイヌの考え方は、次のように要約することができます。
    (1)  神々は、ふだん、その本国では、人間と全く同じ姿で、人間とちっとも変らない生活を営んでいます。
    (2)  神々は時を定めて人間の村を訪れます。
    (3)  その際、神々は特別の服装を身につけます。たとえば、山の神ならば家の壁際の衣桁から熊の皮を取り下して身につけるのであります。
    (4)  それから、神々は人間の村を訪れる時は決して手ぶらでくるなどということはない。山の神ならば、みやげに熊の肉を背負って来るのであります。熊の肉はアイヌのいう“カムイ・ハル"(kamuy-haru 神の持って来る食糧)であり、“カムイ・ムヤンケ"(kamuy-muyanke 神の持ってくるみやげ)なのであります。それで肥えた大きな神をアイヌは“シケカムイ"(sike-kamuy 荷物を背負った神様)などと名づけて大いに尊敬するのであります。
    (5)  山の神はこのように熊の皮を着て、熊の肉を背負って、――いわば、おみやげの食糧である熊の肉を熊の皮の風呂敷に包んで背負って――人間の村の背後の山の上に降り立ち、そこで人間の酋長の出迎えを受けて、みやげの荷物である熊の肉の風呂敷包みを与え、その本来の霊的な姿に返るのであります。熊が人間に狩り殺されることを、“マラト・ネ"(marapto-ne)"賓客・となる" というのでありますが、それは山の神が、はるばる背負って来たみやげの食糧である熊の肉をそっくりそのまま人間に与えることによって、――すなわち、熊が死ぬことによって、――山の神は熊の肉体から解放され、その本来の霊的な姿に立ち返って、人間の酋長の家に“お客さんとなる"という考え方なのであります。
    (6)  人間の酋長の家にお客さんとなった山の神は、そこに数日間滞在して飲めや歌えの大歓待を受けます。
    (7)  そして人間の酋長からみやげの酒だの米だの粢(しとぎ)だの或は幣だのをどっさり頂戴に及んで、はるばる山の上にある自分の本国へ帰って行きます。
    (8)  本国へ帰ると部下の神々を集めて、盛大な宴会を開いて人間の村での珍しい見聞談を語り聞かせ、人間の村からおみやげにもらって来た品々を部下一同にすそ分けして、神々の世界での顔を一層よくするのであります。
     以上が神々の生活に対するアイヌの観念なのでありますが、このような特異な神の観念は、はたして彼等の空想が産み出したものにすぎないのでありましょうか。否、そこには古い過去の社会に於ける経験的な事実の反映が見られるのであります。先ず考えられるのは、いわゆる "ウイマム"(uymam)すなわち異民族との交易であります。
     古くアイヌが日本人或はその他の異民族と盛んに交易を行ったことは、歴史上かくれもない事実であります。 アイヌの説話の中には、そのような交易について述べた物語がたくさんあるのであります。それによりますと、
    (1)  アイヌの酋長は、ふだんはアイヌ部落にいて、狩猟なり漁撈なりを営んでおります。
    (2)  彼は時を定めて和人の村へ交易に出かけて行きます。
    (3)  その際、彼は壁際の衣桁から晴着をとり下して身につけます。
    (4)  彼はその際、かねて稼ぎ貯めてあった毛皮その他を背負って行きます。
    (5)  和人の村へ着いたら、背負って行った毛皮その他を "ムヤンケ"(muyanke みやげ)として差し出し、和人の家に "お客さんとなる" のであります。
    (6)  そしてそこで数日滞在し、飲めや歌えの大歓待を受けます。
    (7)  そして和人から米だの粢だの酒だの煙草だの、その他いろいろな品物をみやげにもらって、はるばる故郷の村へ帰って来ます。
    (8)  村へ帰ると、彼は部下の人々を集めて盛大な宴会を開き、和人の村で見聞した珍しいことどもを語り聞かせ、和人の村からおみやげにもらって来た品々を一同におすそ分けして、人間の村での酋長としての権威を一層強めるのであります。
     さきに述べた神々の訪れの観念と、今述べた日本人との交易の事実とを仔細に比較してみるならば、まるで符節を合わせるようにぴたりと一致するのを発見して驚くのであります。これは神々の観念の一部が、異民族との交易(特に和人)という社会経済史的な事実の定期的な繰返しの上に形成されたものであることを如実に物語るものと考えられるのであります。
     それから、もう一つ、さらに古くアイヌの神の観念の形成に参与した社会史的な事実として、シャーマンの生活を取りあげることができましょう。シャーマンは、
    (1)  ふだんは部落生活に於て、俗人と全く同様の姿で、俗人と変らぬ生活を営んでいます。
    (2)  しかし彼は祭の際には神として行動します。
    (3)  例えば、熊祭の際には、彼は壁際の衣桁から熊の皮を取り下して身につけます。そして人間の村の背後の山の上に昔はあったと考えられる祭場に、熊の姿で現われ、そこで熊が人間の手に扼殺されるまでの様を演じます。
    (4)  殺された後は、当然熊の皮を脱いでシャーマン本来の姿に返り、いわゆる直会(なおらい)の席に列席します。
    (5)  そしてそこで数日滞在して、祭が終れば再び俗人の生活に戻っていくのであります。
     おそらく、今のアイヌの神の観念は、その形成の過程に於て、さきに述べた和人交易と、それからのシャーマンの生活が、その基盤をなしたと考えられるのであります。


    (3) 災難と神の関係
      久保寺逸彦 (1956), p.246
    人間の遭逢する病気・怪我・死亡・不運・禍災等は、一切、悪神・魔神の所為に基づく ‥‥
    悪神 wen-kamui や魔神 nitne-kamui は、嫉み心が強く、善神たちの繁栄幸福を喜ばず、悪戯乃至悪企みを廻らすことによって、一切のそれ等の不幸なことが起る ‥‥
     " Nep ikeshkep, kar-sanniyo, oka a kusu, kamui ne yakka, shik-utur kashi, etushmak, emkosama, chi-pahau-ushka"
     「 如何なる嫉み神のなせる企てありたるにや、善神の眼の隙を盗んで、(悪戯したため)、死の凶報が伝えられた。」

      久保寺逸彦 (1956), pp.246,247
    病気乃至死亡が生ずることは、悪神や魔神等が善神たちの放心油断した隙を覗ってやる悪戯によると考えながら、
    その放心や油断をなして、魔神をして隙に乗ぜしめた善神たちの責任を追及したり、怨嗟し、誹謗する様なことは決してない ‥‥‥
    アイヌに依れば、
    神様だってうっかりすることも、油断することもあり、手に及ばないことだってある ‥‥‥
      " Iyaikookka, kamui-niukeshpe, oka a kusu, ekan-nekusu, atanan ainu, a-ne kusu, aniukeshkusu-ne-p……"
     「 残念なことです、神様にもどうにも出来ないことがあるもの故、まして、凡夫の我々人間には、どうにも手の及ばない事で……」
    神々に対して怨嗟し、不平を述べることなどしないばかりか、
    病人が出れば、神様も永い間、その家族や村人同様に永い間憂慮したり、難渋し、死者が出れば、また人間同様に、悲嘆の涙にくれるというのだから (1)、‥‥‥
    どうしても神々の辛労に対して感謝すると共に、その悲嘆に同情し、慰撫し、今後は心をしっかりと持ち、元気でいる様にという様な ‥‥‥ 辞を述べること [になる] (2)
     (1)  "Eor setakko, chiraininnire, aiekarkar ‥‥"
    「ずいぶん永い間、難儀な目に遭わされ、……」
     "Nep wen-kamui, inonchir katu, tan pase kamui, chi-ranat-kore, eoma yakka."
    「如何なる悪神が悪戯をしたものか、この尊い(火の女) 神様も、心配事 (家内に病人が出たこと) を与えられた、訳でしたが、……」
     (2)  "Huo keutum, a-kon nankonna"
    「(今i後は) しっかりした強い心を、神(様も)お持ちになって戴きたい」


    引用文献
    • 知里真志保 (1947) :「和人わ舟お食う」
        所収:『和人は舟を食う』, 北海道出版企画センター, 2000, pp.60-71
    • 知里真志保 (1955 ) :「アイヌ宗教成立の史的背景」
        所収:同上, pp.107-137
    • 久保寺逸彦 (1956) :「北海道アイヌの葬制一沙流アイヌを中心として」
      • 民俗学研究, 第20巻, 1-2号, 3-4号, 1956, pp.156-203 (54-101)
      • 収載 : 佐々木利和[編]『久保寺逸彦著作集1: アイヌ民族の宗教と儀礼』, 草風館, 2001, pp.103-263