Up 運上屋での仕事内容 作成: 2018-11-28
更新: 2019-11-09


    (1) 鮭漁
      平秩東作 (1783), p.427
    鮭は八月の頃、川々へ登るを捕て大船へ直に鹽漬にす。
    鹽引、鹽辛、楚割、荒巻、筋子、子籠などさまざま品あり。
    わけてイシカリ川といふ川、此地第一の大川にて、千石船二、三里が間は滞りなく馳せ込といへり。
    蝦夷人共、網をおろし、捕たる鮭を代物にかへ、直に船へ積込諸国へ廻すを秋味といふ。はかゆくを専らとする故、肉もろく、臭みなど出るものあり。風味大におとりたり。
    蝦夷地にても松前にでも、食料につくりたる鹽引、越後、奥州より出たる鹽引より風味すぐれ、わけて筋子などは、蝦夷地より出たるもの味至て美なり。
    毎年秋になれば、川ある所はことごとく鮭のぼる。
    枝川などありても傳ひのぼりて、のちは水なき所までのぼりて子をなす。
     ‥‥‥
    小川なども打鉤 [アイヌ語 : マレック] にかけて引上るに、三、四百づゝ捕るといふ。
    大川におろす網はいやがうへにおろせども、魚かゝらずといふ事なし。
     ‥‥‥
    鮭、二十頭を一束として、例年二百萬束 [=4千万匹] ほど捕るといへり。
    價やすき時は、松前、江差邊にて、一頭にて鳥目 [(ぜに)] 二、三十文にひさく事あり。
    先年至てやすき事あり。 草鞋(わらじ)一足に魚一つを替しといふ。
    蝦夷地にて交易するは、此定にあらず。
    定たる直段もなし。
    蝦夷人、船に積来りて、取かへくれよとせがむ。
    船あまたなれば、しばらく待べきよしをいへども、聞入ず、我先にとりかへん事をのぞむゆへ、此方のもの煩らはしがりて、此鮭はあしきといへば、たゞちに其船をうちかへし、鮭を川へすてゝまた(ほか)のさけを積来る。
    價のやすき事、是にておしはかるべし
    すてたる鮭を後にとり上て木の枝へかけほしたるもの、乾鮭なり。


    (2) 鯡漁
      串原正峯 (1793), pp.496,497
    鯡漁の事
    鯡網壹把といふは、網の目長さ二寸三、四分、網の幅目の数三十九、四十位、長さ貳丈七尺を壹把とす。
    五把を一放しといふ。
    碇縄は藁にて、三つ繰に打て、夫を十尋位に切、頭に浮を付。
    浮は木にて長さ七寸位、枕のことく拵、網の根に重さ壹貫目位の石を結付る。
    是を碇と云。
    又ナツチ石といふは、貳、三百目位の石を細縄にて結拵置、海へ差込む前に
    網五把一放しに結目々々に結付、網を海へ差込時しつみ安きやうに付、タクを置なり。
    タクといふ事は、鯡群寄たる時早速差込安きやうに拵積置事なり。
    請取((鍵))どいふは、木にて圖のごとく拵、是は船の表に置て、波風有節浮の近所へよりたる時、此鍵にて早速引寄取るなり。
    船を乗出に圖合船は六人乗組、夷船は三人にて乗出す。
    扨夫より網をとりあげ、鯡薄き時は五放くらひ、厚く掛る時は二放、三放位引上来る事なり。
    引揚る時の(とも)に竿貳本出し、夫へ艫網といふをかけ、網引揚る時網より洩落る鯡此艫網の内へ入る。
    網揚仕廻て、其所より右の艫網を岡へヤツサヤツサと懸聲をしてナツホえ引揚るなり。
    此ナツホといふは鯡あげ置所をいふ。
    網を舟へ取込時、網より洩る鯡をヘゲといふものにてすくひ上るなり。
    へグの圖も後に出す。
    鯡をナツホえ持運ふには、圖のこときもっこふに入、凡貳斗樽壹盃程入るなり。
    是を以て貳人してナツホへ持運なり。
    鯡の腸を取る事を鯡を潰すといふ。
    右鯡つぶしの時はメノコのする業なり。
    是を繋ぐは男夷なり。
    シャモ地にては シャモ地とは日本地といふ事 十四疋づゝ十三連を一束といふ。
    百八拾貳疋なり。
    蝦夷地は、二十疋づゝ十連を一束とす。
    二百疋なり。
    右の、木の枝にて圖のことく鍵を拵 圖後に出す 是を後先にて二つ荷棒の先へかけ、持運びて納屋上けいた((す))
    納屋とは濱邊に柱を立、其上に横に木を渡し、夫へ束たる鯡を懸て干すなり。
    宗谷の納屋も高さ人のせゐ丈けにて、長さ凡三十間程、幾通りもあるなり。
    納屋上いたし一日程風に吹せてほすなり。
    (さき)様は頭の際より尾の際迠左右とも切下け、是をみがき鯡ともいふ。
    外割は二つに割、片((方))骨付なり。
    此ことくして納屋に懸置、三十四、五日も干置、其上にて結上るなり。
    数の子は、鯡潰す時、数の子、白子、笹目 笹目といふは鯡のゑらの事なり に撰り分け、白子、笹目は上方へ廻し田畑のこやしと成。
    近江、美濃なとは皆此肥しを用ゆ。
    (ほか)こへ((肥))を用るより田地に合ふよしなり。
    白子今は食用にもいたすよし。
    宗谷にて干たる白子を湯煮にし胡麻味噌にてあへ、飯の菜となし食して見るに、風味至てよろし。
    さて数の子、白子を干すには、鯡の腸をとり出したる時は数の子和らかにて、直に干ばみな/\潰れて粉に成なり。
    故に数の子撰分けて、大樽か又は箱へ入て二、三日も寝せ置時は堅く成なり。
    共時簾又は莚の上に乗せて干上るなり。
    白子は直に干上るなり。
    且鯡群れ来る所は昆布、若布(わかめ)其外藻生立所ヘクキルなり。
    右昆布、藻に子をすり置事なり。
    其白子堅まり、風波ありても流る事なく、右の白子にて海上一圓眞白にみゆるなり。
    其時舟乗出し、前文にいふごとく((豫))てたき置たる網を海へ差込なり。
    網有合をのこらず差込、其後沖場をする事なり。
    近くへ鯡クキぬれば、一日に七、八度も船を出し、網あげする事なり。
    船乗場遠方なれば五度、三度ならでは乗る事ならず、其内風荒吹時は、網取事も成兼(なりかね)、多く捨る事なり。

      同上, p.497
    鯡交易の事は前文煎海鼠交易の所にもいふごとく、米、酒其外小間物種々のものにて交易なすといへとも、都て直段は米より割出す事なれば、米と交易する割合にて是を説に、
    米八升入壹俵に付鯡六束づゝにて交易なすなり。
      [米1俵 〜 鯡6束 = (200 × 6)疋 = 1200疋]
    数の子と白子とは二品とも夷の手元より交易なす。
    直段は同様なり。
    米八升入壹俵に付各三樽づつ、笹目は六十樽なり。
    壹樽といふは貳斗樽に山盛にして一盃なり。


    (3) 海鼠漁
      串原正峯 (1793), p.491
    海鼠引漁は圖のことくなる海鼠引網を夷船に乗せ、海上へ乗出し、((豫))て見立置たる海鼠のある所にて此網をおろし、縄の先に圖のことくなる木の碇を付置、是を最初の所へおろし、凡百間斗も舟を漕行て網をおろし、網に付たる縄の端を船の櫨へ結ひ付、夫より碇の縄を手にて操り、最初の所へくり寄て網を船の中へ引揚るなり。
    能き泙合にて當り漁の時は、一網に百二、三十も引揚るなり。
    終日引て、壹人にて能漁の節は貳千程も取る事あり。

      同上
    其日引たる海鼠を 水海鼠と云。未いりこにせず,引上たるまゝなり 船に積たる儘にて運上屋敷の濱邊へ漕来る。
    其時會所より改に出、海鼠數を算へさするに、
    ()とよみ五つ(ずつ)
      シネツプ 一
      トップ  二
      レツプ  三
      イネツプ 四
      アシキ  五
      イワン  六
      アルワン 七
      ツベシ  八
      シネベシ 九
      トヲ   十
    と云なり。
    十は夷言にてワンベなれとも、日本語覚えたるにやトヲと呼なり。
    算ゆる事をピシケといふ。
    右のことく五つ宛十算へたる時、(あらため)に出たる者、手帳に海鼠引夷の名前を記し、其上へ十とよみたる時正の字の一畫を書記し、算へるに隨て一くわくづつ是を書。
    一畫は五十なり [5 × 10 = 50]。
    正の宇一字出来て二百五十なり [50 × 5 = 250]。
    二字にて五百と成 [250 × 2 = 500]、
    段々算へ、
    最早残り五十はなき [正の字一画にならない] と見積る時は、此度は [一とよみ五つ宛ではなく] 一よみ二つ宛シネツフ、トツプと順にかぞへ、
    算へ仕廻て、たとへは
      五百三十五
    あれば
    [ 5 + ( (−10) + (7 × 20) ) + (202?) ]
      アシキネツフ  [5]、
      イカシマ    [+}、
      ワンベ     [10]
      ヱ       [−]
      アルワ     [7]
      ノホツ     [20]、
      イカシマ    [+}
      ツシネワノホツ [202?]
    斯のことくいふなり。
    是か五百三十五といふ言葉なり。
    五百三十五 [ごひゃくさんじゅご] は日本語九つなり。
    蝦夷言にては三十一なり。
    まわり遠なるいひかたなり。
    右引高を改の者銘々日々手帳に付置なり。
    是は煎海鼠((いりこ))にして講取時は、夫迠に抜荷等させましきため、水海鼠にて数を改置事なり。

      同上
    右其日の引高に應し
      五百以上引たる夷へは酒壹盃づつ、
      千以上引たる夷へは貳盃づつ、
    右の高引たる夷の腕に矢立の筆にて書記し遣せは、夷會所へ行て腕をまくり見する故、夫を證據に右のにこり酒褒美に呑する事なり。
    是此度出役先の思ひ付にて、はげみの為如斯せしなり。

      同上
    扨夷とも改を請て水海鼠を我家々々へ持行、
    または濱邊にても
    直に大鍋に湯を涌し、引揚たる儘にて鍋へ入しばらく煮る。
    煮上りて是を引上、長壹尺斗の串を(こしらえ)
    夫へ十つゝ串柿のごとくに通し、
    十本 [10 × 10 = 100] を一連として圍爐裡の上へ釣し、
    四、五日も乾し上け、又は日當りにでも干すなり。
    十連にていりこ数千なり [100 ×10 = 1000]。
    束となして會所へ持来る。

      同上
    交易は煎海鼠百に付玄米五盃、但し壹盃は貳合五勺入椀なり。
      [煎海鼠百 = 玄米 一升貳合五勺]
    酒なれば右の椀にて三盃づつ、
      [煎海鼠百 = 酒 七合五勺]
    其外の品と交易なすにも右に准したる價なり。

      同上
    右會所に溜りたる煎海鼠を、メノコを呼集、會所の板の間にて串を抜するに、
    但しメノコ四、五十人又は七、八十人も寄る事ノも有り。
    是は小使 小使は村々組頭といふものにて夷の内働有者なり に申付、會所最寄のメノコを集る。
    ケ様の事はメノコの役にてする事なり。


    (4) 昆布漁
      村上島之允 (1800), pp.155,156.
    「昆布は東蝦夷地に産す。西蝦夷地絶えてなし。
     六月土用より八月十五日まて採れり。」




    引用文献
    • 平秩東作 (1783) :『東遊記』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻』(探検・紀行・地誌. 北辺篇), 三一書房, 1969. pp.415-437.
    • 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
      • 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
    • 村上島之允 (1800) :『蝦夷島奇観』
      • 佐々木利和, 谷沢尚一 [注記,解説]『蝦夷島奇観』, 雄峰社, 1982