Up 「アイヌ利権」政策の論理 作成: 2019-10-14
更新: 2019-10-14


    政治は,人の世を<外>から見ているものではない。
    政治は,人の世の右往左往の<内>である。

    "アイヌ"政策は,理で立てられているのではない。
    "アイヌ"政策は,いろいろな偶然の重なりの結果である。


    しかし<偶然の重なり>は,後からこれを見れば,系のダイナミクスの現れである。
    これの結果は,系のダイナミクスの必然ということになり,よって (どんなタイプであれ) 理が認められるものになる。

    かくして,"アイヌ"政策には論理が見える。
    その論理は,つぎのようになる:
     
    "アイヌ" を社会不安材料にしない方法として,"アイヌ" を<利権>に取り込む。
    これは,つぎの一石二鳥になる:
     ・ "アイヌ" に(まつ)わるイデオロギーを自沈に導く
     ・ "アイヌ" を北海道観光に組み込む


    "アイヌ"政策は,民族主義イデオロギーを受け入れた格好になっているが,このイデオロギーも自沈する。
    なぜか。

    民族主義イデオロギー陣営は,「アイヌ民族」を理論的に立てることができないことから,「自分をアイヌと思い定める者は,アイヌである」の論法を用いるものになっている。
    自分をアイヌと思い定める者は,アイヌである」は,「アイヌとは,自分をアイヌと思い定める者のことである」に転じる。
    自分をアイヌと思い定める者は,いなくなる一方である。
    「アイヌ利権」の(そと)では,自分をアイヌと思い定めることが意味をもつ場面は,既に無いからである。