Up "アイヌ" の終焉 作成: 2019-11-26
更新: 2019-11-26


    アイヌは過去の存在である。
    そしていま,"アイヌ" が終焉しようとしている。

    "アイヌ" の進化は,いま, "アイヌ" が「アイヌ文化を継承する者」の意味になるところまで来た。
    ここでいう「アイヌ文化の継承」は,「アイヌ文化をリアルタイムで生きている」ではない。
    "アイヌ" も,アイヌ文化をリアルタイムのものであるようには言わない/言えない。
    実際,「アイヌ文化はリアルタイムのものだ」を言えば,「それを生きているのがアイヌ民族だ」ということになり,しかし「アイヌ文化はリアルタイムのものだ」は嘘になるから,「アイヌ民族」も嘘になってしまうのである。

    "アイヌ" は「系統」や「血」で定義されるものではない。 ( "アイヌ" のアイデンティティ──自滅の立論)
    アイヌとはアイヌ文化を生きた者のことであるが,"アイヌ" もこれと同型に定義するのみである。
    即ち,"アイヌ" とは "アイヌ" 文化を生きる者のことである。
    そしていま,"アイヌ" を定める "アイヌ" 文化は,「アイヌ文化継承をパフォーマンスする」である。

    ところで,「アイヌ文化を継承する者」は,"アイヌ" である必要がない。
    この命題と,命題「"アイヌ" とは「アイヌ文化を継承する者」のこと」を合わせるとどうなるか。
    矛盾である。
    これは,"アイヌ" が矛盾存在概念に至ったことを意味する。

    「アイヌ文化振興」事業が「アイヌ文化継承」を謳ったとき, "アイヌ" は終焉したのである。
    現前の "アイヌ" は,"アイヌ" が終焉したことを知らないでいる者である。
    「ゾンビ」というわけである。

    「アイヌ文化振興」事業の「アイヌ文化継承」パフォーマーについて,"アイヌ" かそうでないかを問うことは意味がない。
    問いそのものが矛盾であり,問いでないからである。