Up 「交易の民」 作成: 2019-11-08
更新: 2019-11-08


    「アイヌ=北海道先住民」のストーリーは,つぎのストーリーになる:
      「アイヌは北海道縄文人の系統」
    アイヌ文化を成り立たせている事物でアイヌの自前にならないものは,様々ある。 そこで,つぎのストーリーをつくらねばならない:
      「縄文人はこれらを持つようになった」
    それら事物は外から持ち込むものであるから,これはつぎのストーリーになる:
      「これらは交易で得た」
    それら事物は消費され消耗するものであるから,交易は生活の一部でなければならない。 かくして,つぎが「アイヌ=北海道先住民」のストーリーになる:
      「縄文人は交易の民となり,
       こうしてアイヌ文化期に入っていく」


    このストーリーでは,つぎを立論しなければならない:
      「縄文人は<交易>という方法を自前で持った」
    「アイヌ=北海道先住民」立論の要点は,「純血」である。
    つぎのストーリは,「純血」を立てられなくするので,却けねばならない:
      「先進技術を持った外地人が北海道に渡ってきて,
       縄文人を排斥・吸収しつつ,
       アイヌ文化を成す」
    交易技術は,あくまでも縄文人の自前ということにしなけらばならない。

    そこで,つぎのストーリーをつくる:
      「縄文人の一部が外地に渡り,
       アイヌ文化の素地となるところの文化を身につけ,
       北海道に戻る」


    「アイヌ=北海道先住民」は,「純血」イデオロギーである。
    これを学術に装うことに腐心するのが,「交易の民」論である:
      瀬川拓郎『 アイヌの歴史──海と宝のノマド』, 講談社, 2007.


    一般に文化は保守的である。
    文化を「進化」の枠組で考えるとき,「保守」が個の「適応」様式になる。
    「自然選択」は,保守的な個を選択するのである。
    そこで,新しい文化へのシフトは,つぎの形で起こると見ることになる:
      《外地からやって来た者が,彼らの文化へ先住者を同化する》

    一つの地域の文化史は,一つの純血種の文化史ではない。
    「系統」の線は,外地と出入りするわ,複雑に絡み合うわで,想像もかなわぬものである。