Up 「アイヌショー」 作成: 2019-10-21
更新: 2019-11-26


      読売新聞 北海道版, 2019-11-26
    アイヌ文化の魅力紹介
    函館でフェス 展示や古式舞踊、歌
     来年4月の「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の開業を前に、アイヌ文化の魅力を紹介する「アイヌ・フェスティバル2019」(道主催) が23、24の両日、函館市の五稜郭タワーで開かれた。
     会場では旧白老小学校(白老町)の校舎にあった大きな木彫りクマが出迎え、マキリ(小刀) などアイヌの生活用具を展示。
    人気漫画「ゴールデンカムイ」のキャラクターのパネルの前では、多くの来場者が記念撮影していた。
     アイヌ民族に伝わる古式舞踊や歌、楽器「ムックリ」の演奏が披露され、古式舞踊では、来場者も飛び入り参加した。 踊りに挑戦した宮城県出身の大学生、岩渕竜也さん(21)は「独特のリズムやかけ声が楽しかった。アイヌ文化を知るいいきっかけになった」と話した。
     ウポポイ開設PRアンバサダーを務める俳優の宇梶剛士さんのトークショーも行われた。
    宇梶さんは、アイヌ文様の入ったアクセサリーをいつも身につけるようにしているといい、「何かに守られ、包まれているように感じる」と語った。

    アイヌ民族と飛び入り参加の大学生らが一緒に踊る場面も

      読売新聞, 北海道版, 2019-11-15
    ウポポイ認知度 5.2%
    道外在住者、8月上旬調査
     白老町に来年4月オープンするアイヌ文化復興のナショナルセンター「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に関する道の認知度調査で、「知っている」と答えた道民は35.4%、道外在住者は5.2%にとどまった。
     調査は民間会社に委託し、8月上旬に道内と関東、関西、中京3地域の18歳以上の男女計1000人を対象にインターネットで実施した。
    ウポポイを訪れたいかどうかをたずねる質問には、条件によるも含めて「行ってみたい」と答えた道民が54%、道外在住者が52.8%だった。
     鈴木知事は13日の記者会見で、「残念ながら認知度が低いと言わざるをえない。
    SNSを活用した情報発信など、さらに効果的なPRを切れ目なく行っていく」と述べた。
     道は8月以降、道内のほか、東京、大阪、名古屋でもアイヌ音楽を披露したり、伝統料理を振る舞ったりするイベントを開催しており、11月下旬に改めて認知度などについて調査する予定だ。


      砂沢クラ (1983), pp.297-299
     [昭和三十一年] 私たちが芦別の川岸に住むようになってからも、旭川の川村の兄 (カ子トアイヌ) は、いつも私たちのことを気にかけ、何かあるたびに「来ないか」と声をかけてくれました。 川村の兄や旭川の親せきと一緒に神居古漬や勇駒別温泉 (現在の旭岳温泉)、層雲峡、天人峡、白金温泉などの観光地へ招かれて行き、カムイノミ (神への祈り) やウポポ (輪踊り) をするのです。
     思いきり跳ねて踊って、夜はおいしいごちそうを食べながら、なつかしい人といろいろ話が出来て、それだけでもうれしいのに、川村の兄は、いつも、みなに渡す金以外に一万とか二万とかの金を私のふところに入れてくれるのです。

      同上, pp.306,307
     アイヌ祭りの次の年 (昭和四十年) には川村の兄 (カ子トアイヌ) に誘われて、兄の妹たちなど十何人でシサム (和人) の都・東京へ行きました。 兄の妹のヨネさんがムックル (舌琴) を吹き、私がイフンケ (子守歌) を演じ、みなでウポポ (輪踊り) をして見せたのです。
     ‥‥
    私が演じたイフンケは母のムイサシマットから習った歌で「なぜ泣くの お前のお父さんは有名なコタンコロクルだけど 女の子を七人持ったのに 男の子は一人も生まれなかった 私は一番身分のいやしい女中だが コタンコロクルの子孫のおまえを生んだ‥‥」という内容で、人形の赤ん坊をおぶって舞台の端から端まで歩くのです。
     この次の年には九州を十一日間で回り、別府まで行きました。
     兄は帰る時になると、私に、上等の酒やら菓子やら背負わせ、そのうえ、みなに払った金のほかに何万も余計にふところに入れてくれるのです。


    昔と今の違いは,"アイヌ" に支払われる金の循環経路である:
    1. 興行師が,客から得た金の中から,"アイヌ" に支払う
    2. アイヌ振興事業法人が,行政から交付された金の中から,"アイヌ" に支払う
    "アイヌ" の役回りは,昔も今も同じである。


    引用文献
    • 砂沢クラ (1983) :『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』, 北海道新聞社, 1983.