Up 「アイヌ」を講ずる : 要旨 作成: 2017-04-07
更新: 2017-04-07


    "アイヌ民族" 否定は,第一に「アイヌ」を知っていてこそのものである。
    よって,"アイヌ民族" 否定は,作法として,「アイヌ」を講ずることから始まる。


    「アイヌ」は,間違ったイメージがもたれている。
    そして,間違ったイメージのおおもとが,「アイヌは北海道原住民」である。
    このイメージだと,アイヌの鉄器・農耕は,つぎのどちらか・あるいは両方ということになる:
    1. 和人が北海道に渡ってきて,これらを伝えた (「渡来」)
    2. アイヌが北海道から出て行き,これらを持ち帰った(「交易」)
    このイメージを,壊さねばならない。


    先ず,「アイヌ」は,生活様式/文化を指すことばである。
    「<アイヌの生活>をする者は,アイヌである。
    アイヌのコタンに,外から人がやって来て,そこに居ついてアイヌの生活をするとき,その者はアイヌである。
    特に,「アイヌ」は「純血・混血」の主題が立つものではない。

    つぎに,アイヌの文化は,鉄器農耕文化と石器漁猟採集文化の界面文化である。
    「アイヌの文化」のイメージは,つぎのようになる:

    物事はすべて,スペクトルのように存在する。
    鉄器農耕文化と石器漁猟採集文化の界面は,遷移する。
    その遷移には,鉄器・農耕・その他の滲透が含まれる。
    この滲透のモヤモヤの中から,一定の文化形態が現れてくる。
    「アイヌ文化」とは,そのようなものである。

    鉄器・農耕は,和人が北海道に持ち込んだのではない。
    鉄器農耕文化と石器漁猟採集文化の界面が北進し,鉄器・農耕が北海道に入ってくる。
    これが,鉄器・農耕の北海道入りである。
    その内容は,鉄器・農耕を身につけたアイヌの北海道入りである。

    鉄器・農耕の北海道入りは,界面の北海道入りではない。
    鉄器・農耕の滲透ゾーンの北海道入りである。
    滲透ゾーンは,グラデーション模様になる。
    したがって,鉄器・農耕の北海道入りは,「いつ・どこで・だれが」というものではない。