Up 蝦夷地防衛政策でのアイヌの位置づけ 作成: 2017-02-26
更新: 2017-03-26


    領土を主張するときのいちばんの大義は,「国民がそこにいる」である。
    蝦夷地防衛政策でのアイヌの位置づけは,このようになる。
    即ち,アイヌを国民として外に──特に,蝦夷地を領土に狙っているロシアに──示していく,というものになる。

    政府がこの場合懼れるのは,アイヌがロシアになびく気配を現すことである。
    アイヌ統治は,和人がアイヌをますます見下すように進行してきた。
    政治は,アイヌの反抗を危惧せねばならない。
    こうして,アイヌ懐柔の方針を改めて立てることになる:
      明治2年5月21日の詔
    蝦夷は皇国の北門にして山丹満州に接し,略境界ありと雖も北門に至りては中外雑居す。
    之に加ふるに従来官吏の土人を使役する甚だ苛酷、而して外人頗る愛恤を尽す。
    故に土人往々我を怨望し,彼を尊信するに至る。
    一旦彼民苦を救ふを名として土人を煽動するあらば其の渦延て松前、函館に及ばん。
    方今の要務は渦を未然に防ぐにあり。
    函館平定の後速かに開拓教導を蝦夷に施し、人民蕃殖の域となさんとす。
    其利害得失各意見を陳し、忌憚する処ある勿れ。

    そしてその上で,アイヌを国民にすることとして,アイヌの同化を政策にする。

    こうして,アイヌは,<終焉>を運命づけられる。
    アイヌにおいては既に商品経済の滲透 (和人製品依存および被雇用労働) が進んでいたが,これだけではアイヌの漁猟採集生活が急速に終わりになるというものではなかった。 ──実際,その商品経済は,アイヌがアイヌであることを利用するものであった。
    しかし,外患によって事情は変わる。
    蝦夷地は辺境のままにしておいてはならず,アイヌはアイヌのままにしておいてはならない,となったのである。