Up 「アイヌ」の勉強 作成: 2017-03-30
更新: 2017-03-30


    アイヌについて勉強し,アイヌとは何かを知れば,"アイヌ民族" が虚言であることがわかる。
    逆に,"アイヌ民族" が虚言であることがわかるためには,アイヌについて勉強し,アイヌとは何かを知ることが必要になる。
    翻って,"アイヌ民族" を唱えている者は,アイヌについて勉強していないか,勉強できていない者である。

    <勉強しているつもり>は,<勉強できている>ではない
    たいていの者は,これをわかっていない。
    特に,"アイヌ民族" を唱えている者は,これをわかっていない者である。

    <本を読んだ>は,<勉強した>ではない。
    <本を読んだ>は,<著者に騙された>である。
    卵から孵った鳥の雛は,最初に出遭ったものを親にする。
    ひとは,最初に海外旅行した国を,好きになる。
    ひとは,最初に読んだアイヌテクストに強く影響される。


    勉強は,情報の再構成である。
    勉強できている者は,論考が構成的である。
    勉強できているかどうかは,論考が構成的かどうかでわかる。

    「構成的」の手本は,数学である。
    物理学や化学も,これに準ずる。
    自然科学をベースに勉強した経験は,「構成的」を自ずと指向させ,<勉強しているつもり>から脱するのに役立つ。

    扱う対象の複雑さが増すにしたがい,「構成的」は難しくなり,「主観をだらだら述べる」の度合いが強まってくる。
    このような分野に入り以降自閉している(てい)の者は,「構成的」を知らないので,<勉強しているつもり>になりやすい。
    このような分野は,イデオロギーの好餌になる。

    アイヌ学は,イデオロギーに食われて,終焉した。
    自らつぎの「声明」を出して,学術であることをやめたのである:
      「アイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解」
    『民俗學研究』(日本民族学会), 54(1), 1989.
     少数民族の調査研究に際して民族学者, 文化人類学者が直面する倫理的諸問題を検討するため, 日本民族学会理事会は1988年11月, 研究倫理委員会を発足させたが, この委員会は数度にわたる慎重な審議をふまえて, このほどまずアイヌ研究についての見解を次のようにまとめた。

     1. 民族学, 文化人類学の分野における, 基本的な概念のひとつは「民族」である。この「民族」の規定にあたっては, 言語, 習俗,慣習その他の文化的伝統に加えて, 人びとの主体的な帰属意識の存在が重要な要件であり, この意識が人びとの間に存在するとき,この人びとは独立した民族とみなされる。アイヌの人びとの場合も, 主体的な帰属意識がある限りにおいて, 独自の民族として認識されなければならない
     アイヌ民族がこれまでに形成発展させてきた民族文化も, この観点から十分に尊重されなければならない。また一般的に, 民族文化は常に変化するという基本的特質を持つが, 特に明治以降大きな変貌を強いられたアイヌ民族文化が, あたかも滅びゆく文化であるかのようにしばしば誤解されてきたことは,民族文化への基本認識の誤りにもとづくものであった

     2. 民族学者, 文化人類学者によって行われてきたアイヌ民族文化の研究も,その例外ではなかった。これまでの研究はアイヌ民族の意志や希望の反映という点においても, アイヌ民族への研究成果の還元においても,極めて不十分であったと言わねばならない。こうした反省の上に立てば, 今後のアイヌ研究の発展のために不可欠なのは, アイヌ民族とその文化に対する正しい理解の確立と, 相互の十分な意志疎通を実現し得る研究体制の確立である。そのためには, まずアイヌ民族出身の専門研究者の育成と, その参加による共同研究が必要であり, またこれを実現するための公的研究・教育機関の設立が急務である。

     3. こうして得られた研究の成果は,教育・啓蒙の側面においても積極的に活用されるべきである。すなわち, 抑圧を強いられてきたアイヌ民族の歴史とその文化について,学校教育, 社会教育等を通じて正しい理解をたかめ, 日本社会に今なお根強く残るアイヌ民族に対する誤解や偏見を一掃するため, あらゆる努力がはらわれなければならない。この目的のためには, 初等・中等教育における教科書の内容についても十分に検討する必要がある。一方, アイヌ民族の幼いメンバーや若い世代に対して, アイヌの伝統文化とアイヌ語を学習する機会が制度的に保証されなければならないとわれわれは考える。

     4. アイヌ民族に対するこうした正しい理解の促進は, 現在さかんに強調されている国際理解教育の第一歩でもある。独自の文化と独自の帰属意識を持つアイヌ民族が日本のなかに存在することを正しく理解することなしに, 国際化時代の異文化理解は到底達成し得ないことを認識する必要がある。アイヌ民族に対する正しい理解を出発点としてこそ, 他の少数民族や差別の問題についても公正な認識を持ち, 他の文化や社会についての理解を深めることができるのである。

     5. 以上の見解は, 文化や社会の研究と教育に携わっているわれわれ民族学者, 文化人類学者の研究倫理から発したものである。今日, 日本のみならず,世界のいずれの地においても,一方的な研究至上主は通用しない。われわれの研究活動も,ひとつの社会的行為であることを肝に銘ずべきである。今回のアイヌ民族に関するわれわれの見解の表明は, こうした社会的責任の自覚にもとづくものに他ならない。

     1989年 6月1日 (木〕
     日本民族学会研究倫理委員会
     委員長  祖父江孝男      (放送大学)
     委 員  伊藤 亜人      (東京大学)
          上野 和男      (国立歴史民俗博物館)
          大塚 和義      (国立民族学博物館)
          岡田 宏明      (北海道大学)
          小谷 凱宣      (名古屋大学)
          小西 正捷      (立教大学)
          スチュアート ヘンリ (目白女子短期大学)
          田中真砂子      (お茶の水女子大学)
          丸山 孝一      (九州大学)
          山下 晋司      (東京大学)

    学会は,「民族」の意味を,「人びとの主体的な帰属意識の存在が重要な要件であり, この意識が人びとの間に存在するとき,この人びとは独立した民族とみなされる。」にした。
    「主体的」は,論証されることではない。
    したがって,「民族」は,論証されるものではない。
    "アイヌ学" は,"アイヌ民族" を公理にする格好で立つ。

    よって,"アイヌ学" に付いていくようなのは,アイヌの勉強にはならない。
    アイヌの勉強は,<情報を自分で再構成>である。
    繰り返すが,<勉強しているつもり>は,<勉強できている>ではない
    このこと,よくよく吟味すべし。