Up 川村カ子トアイヌ 作成: 2016-07-01
更新: 2018-11-11




  • 「アイヌ観光」
      砂沢クラ (1983), pp.297-299
     私たちが芦別の川岸に住むようになってからも、旭川の川村の兄 (カ子トアイヌ) は、いつも私たちのことを気にかけ、何かあるたびに「来ないか」と声をかけてくれました。 川村の兄や旭川の親せきと一緒に神居古漬や勇駒別温泉 (現在の旭岳温泉)、層雲峡、天人峡、白金温泉などの観光地へ招かれて行き、カムイノミ (神への祈り) やウポポ (輪踊り) をするのです。
     思いきり跳ねて踊って、夜はおいしいごちそうを食べながら、なつかしい人といろいろ話が出来て、それだけでもうれしいのに、川村の兄は、いつも、みなに渡す金以外に一万とか二万とかの金を私のふところに入れてくれるのです。 ほんとうにいい兄でした。
     ‥‥
     私たちが川岸に暮らすようになってから、芦別でも冬まつりをするようになり、川村の兄が親せきを連れてきて、町の広場でクマ送りをするようになりました。 四、五年は続いた、と思います。 クマ送りでは夫が一切の指図をし、カムイノミもやりました。
     ‥‥
     クマ送りでは、夫も息子も、私が作ったアイヌのコソンテ(立派な着物)や陣羽織を着ました。 とてもきれいに出来ていたので、息子など何人もの人から「ちょっと貸せ」「おれにも着させろ」と言われて、着たり脱いだりしていました。

      同上, pp.306,307
     アイヌ祭りの次の年 (昭和四十年) には川村の兄 (カ子トアイヌ) に誘われて、兄の妹たちなど十何人でシサム (和人) の都・東京へ行きました。 兄の妹のヨネさんがムックル (舌琴) を吹き、私がイフンケ (子守歌) を演じ、みなでウポポ (輪踊り) をして見せたのです。
     ‥‥
    私が演じたイフンケは母のムイサシマットから習った歌で「なぜ泣くの お前のお父さんは有名なコタンコロクルだけど 女の子を七人持ったのに 男の子は一人も生まれなかった 私は一番身分のいやしい女中だが コタンコロクルの子孫のおまえを生んだ‥‥」という内容で、人形の赤ん坊をおぶって舞台の端から端まで歩くのです。
     この次の年には九州を十一日間で回り、別府まで行きました。
     兄は帰る時になると、私に、上等の酒やら菓子やら背負わせ、そのうえ、みなに払った金のほかに何万も余計にふところに入れてくれるのです。 周りの人が「あの二人は何かあるのでは」とうわさするほど、私を大切にしてくれました。

      同上, p.327
     昭和四十四年の春、川村の兄 (カ子トアイヌ) から「妹のコヨが入院した。白老へ行って面倒を見てやってくれないか」と頼まれました。 私とコヨちゃんとは、ほんとうの姉妹のように育ち、娘時代は何をするのも一緒。 頓別の鉄道工事の出面に行った時も、夜は二人で抱っこして寝たのです。
     コヨちゃんの夫は三年前に亡くなっていたので、息子が店員を六人使ってみやげ店を出していました。 白老の観光地では、駅から歩いてきた観光客が二列に並んだみやげ店の間を通り、その奥に建っているアイヌのチセ (家) を見て帰るのです。
     私はコヨちゃんの息子の店の前でイテセ (ゴザ編み) をし、座ぶとんぐらいの大きさのチタラベ (花ゴザ) を編んで売りました。 このころはイテセを見せる店などなかったので、客が喜んで店の前に真っ黒に集まり、たくさん金が入りました。

      同上, pp.330,331
     白老に行った次の年 (昭和四十五年) の夏、川村の兄 (カ子トアイヌ) たちと白金温泉 (上川管内美瑛町) に行った時のことです。 兄に「九州から四百人の客が来ている。ユーカラをしてくれ」と言われました。
     二年前に外国人学者の前でユーカラを演じた時は節なしでしたし、前の年に森竹竹市さんに頼まれてポロトコタンで演じた時は、チセ (家) の中で二、三十人の客に囲まれてやったのです。 こんどは、外に火をたいて、何百人の客に取り固まれてやる、と一言うのです。
     「出来ない。いやだ」と断ると、兄は「おまえは、おまえの母親がここまで伝えてきたユーカラを受け継がないのか」と怒ります。 仕方がないので、母も演じ、夫からも教えられた「アトゥイヤコタンで戦うポイヤウンペ」を演じました。
     たき火が煙いやら、恥ずかしいやら。 幸い夜で、客の顔が見えないので、たき火の火ばかり見ながら夢中で演じ、やっと終わると、お客さんが私を取り巻き、つぎつぎと手を取り、「ありがとう、ありがとう」と喜んでくれました。
     お客さんは喜んでくれましたが、一緒に行ったアイヌはあまり喜んで聞かないのです。 「名寄のヤンパヌおばさんは声がよかった」などと言うのです。
     ユーカラは声だけを聞くのでなく、歌われている内容が大事なのです。 ユーカラの言葉がわからない人が多くなって、声だけ聞くようになった、と思います。


  • 「川村カ子トアイヌ記念館」