Up 授業設計では<理詰め>を心掛ける 作成: 2009-01-09
更新: 2009-01-09


    授業設計は,<理詰め>の作業である。
    教員はこの<理詰め>の作業に弱い。
    あるいは,端(はな)から,これをサボってしまう。

    <理詰め>に弱いのは,<理詰め>への取り組みが弱いからである。
    <理詰め>をサボってしまうのは,<理詰め>の必要感が持たれていないからである。

    <理詰め>への取り組みが弱い,あるいは<理詰め>の必要感が持たれていないのは,<主題>の意識が弱いからである。
    そして,<主題>の意識が弱いのは,主題研究に取り組むということをやっていないからである。 ( 主題研究をサボらない)


    <理詰め>は,自ら鍛錬に努めなければ,永遠に身につかない。
    そして,この鍛錬をやっていないと,毎度とんちんかんな授業をやってしまう。

    とんちんかんな授業をやらないための方法は,<理詰め>の鍛錬であり,これの他にはない。 教員を長くやっていればまっとうな授業ができるカラダにひとりでになっていく,というものではない。

    将棋の棋士の話が,参考になる。
    将棋での「難しい局面」とは,何が善手・悪手かわからない局面──「こんなもんだろう」で手を打つ局面──を謂う。 強い棋士の「こんなもんだろう」が悪手を避けられるのは,そのようなカラダがつくられているからである。 そして,そのカラダをつくってきたものは,基本のたたき込みであり,理詰めの鍛錬である。