Up | どのような教員組織になる? | 作成: 2007-12-18 更新: 2007-12-18 |
この無理をおかして起ち上げた生涯学習教育は,偽りのものになる。
また,B は,「生涯学習教育」というものをこれまで考えたこと・経験したことがない教員が,「生涯学習教育の科目を,なんでもいいからつくってくれればよい」と言われて科目をつくる場合であり,その科目は当然意味不明のとんちんかんなものになる。 一般に,無理強いされて行うことは「偽」になる。 生涯学習教育に限らず,無理強いされて科目をつくれば,それは偽りの科目になる。
科目の形骸化が,起ち上げる前から始まっているわけである。 無理強いされて科目をつくる状況は,特に「改革」のときに現れる。 実際,国立大学に「改革」の課題が降りてくるとき,その中心は,課程再編である。 課程再編では,新しい科目を無理につくり出すことが強いられる。 国立大学の「改革」は,後から振り返ってこれを見るときには,「軽率・軽薄」の貌をしている。 どうしてこうなるのか? 「改革」は,それを行う者の個人的能力を超えない。国立大学の歴史の前には,個人はいかんともしがたく未熟で愚かしい。しかし「改革」のムードは,個人に誇大妄想させる。そして国立大学の歴史の否定をやらせてしまう。
「改革」は,ひとに自分の無知を忘れさせて「バスに乗り遅れるな!」に向かわせる。──よって,「改革」に簡単にのってしまうのは愚なのである。 国立大学の歴史の否定の最たるものは課程再編だが,「改革」のムードはこれを簡単にやらせてしまう。 よって,「生涯学習教育を起こす」が「改革」の項目になっているときは,危険である。 構造的に,その「生涯学習教育」は「偽」になる。 以下,この問題を,つぎの「生涯学習教育」の各カテゴリーについて考える:
○「教職大学院」 教職大学院の教員組織は,法 (平成15年文部科学省告示第53号) が定める形でほぼ一意に決まってしまう。 ──法は,つぎの項目の内容を定める: 「実務家教員」とは「平成15年文部科学省告示第53号第2条第1項に規定する実務経験と実務能力を有する者」。 「みなし専任教員」とは「実務家教員のうち,同告示同条第2項の規定により専任教員以外の者であっても専任教員とみなされる者」。
専任教員数は,同告示第一条 (専攻ごとに置くものとする専任教員の数) でこれの算出方法を定めている。──既存修士課程 (教員養成系) 学校教育専攻の研究指導教員数の2倍くらいでよしとなる計算である。 そして,これの3〜4割が実務家教員になる。 実務家教員を除く専任教員 (「専任教員(狭義)」) は,大学での人員やり繰りの実状からみて,兼担ということになるだろう。 ○「教員研修」(「免許状更新講習」) 北海道の本務教員数 (平成16,17年) は,つぎのようになっている (『日本の統計2007』22.教育)):
これを10で割った数の教員が,毎年「免許状更新講習」を受ける。
教員養成系大学・学部が,この講習を行う主たる機関ということになっている。 大学はこの講習に対応して教員を組織するが,受講者数,講習時間,そして実施期間 (公立学校の夏季休暇期間) の制約から,教員組織の形・内容はほぼ一意に決まる。 「免許状更新」は,行政の「改革」会議で,勢いで出てきたものである。 当初は「5年ごと」という意見もあった。 ところが,実施を考える段になると,「とてもできるものではない」「形だけのものになる」ことがすぐにわかってくる。 そしていまは,中央教育審議会の担当ワーキンググループ (「教員養成部会教員免許更新制等ワーキンググループ」) の中でも,内容的な撤退を始めている。 実際,つぎは同ワーキンググループ 第1回 (平成19年10月3日会議) 配付資料3 『教員免許更新制の運用についての検討経過(案)』の一部であるが,この文章の基調は,「<なんでもあり>にしないと,とても実施できるものではない」である:
同じ基調 (「<なんでもあり>にしないと,とても実施できるものではない」) は, 中央教育審議会 初等中等教育分科会の教員養成部会(第49回,平成19年7月13日)の 『教員免許更新制の運用についての検討資料』にも,見ることができる:
この上に,30時間の講習でどれほどのことができるか?の問題がある。 「教育の最新事情に関する事項」について12時間,「教科指導、生徒指導その他教育内容の充実に関する事項」について18時間としているが,時間割に表してみるとつぎのようになる:
教員養成系以外の大学も多く参加する体制でこの講習を実施するとし,さらに,インターネットでの受講もありとする。 免許更新制度の当初の意図は,「免許状更新講習で教員としての資質・能力を評価し,不適格者に対しては免許更新をしない」である。 このためには,試験が伴わねばならない。 そして,「免許更新試験」の意味をもつ試験ならば,それは共通のものでなければならない。 そして,共通の試験を課せるためには,講習も一定でなければならない。 ところが,これはできることでない。 免許更新制度実施のワーキンググループ自身が,これを認めている。 免許更新制度は,始まる前からすっかり破綻しているわけだ。 「免許状更新講習」は2009年度から実施となっているが,この先まだどうなるかわからないと考えておいた方がよい。 ○「一般公開講座」 本来,公開講座は教員個人の裁量と自己責任で行うものである。 この場合,「どのような教員組織?」の問題は生じない。 「法人化」の国立大学では,大学主催の形で公開講座を組織することを「大学評価」のポイントと見なす傾向が出てきた。 そして,公開講座実施がトップダウンで進められるようになった。 しかし,トップ主導の公開講座は,始める前から形骸化する。 誰でもいいからなり手を決め,公開講座実施の形にもっていく。形がつくられればよい──内容はどうでもよい。 この「大学評価のためにする公開講座」は,軌道に乗るのか?軌道にのせるべきか? 決して軌道にのらないし,軌道に乗せるべきでない。 そして,公開講座であれば,トップ主導であっても<しがらみ>はつくられない。 よって,「やめる」を決めればやめられる。 こういうわけで,「大学評価のためにする公開講座」では,「どのような教員組織?」は問題にならない。やめるべきものであり,そしてやめられるからである。 |