Up | 収支計算は? コスト対パフォーマンス比は? | 作成: 2007-12-10 更新: 2007-12-10 |
緊縮財政とは,必要とするものを精選し,各項目への予算配分を切りつめ,必要度の低いものに対しては大胆に支出カットすることである。 この一方で,「重点項目」「戦略的配分」「学長裁量」が立てられる。 これらは思惑先行をやる。 "If we build it, they will come." 調の出費をする。 浪費が数値的に明白でも,「先行投資」という合理化ができる。 教育は地道に正道をやるしかないものなのだが,教育を「改革」で考える者は,花火を上げることにいっしょうけんめいになる。 安くない花火代に,せっせと金をつかう。 こうして,緊縮財政は,重点項目・戦略的配分・学長裁量によって,意味のないものになる。 本業の真に重要なものは,地味な貌をしていて,気づかれにくい。 もともとの緊縮財政に重点項目・戦略的配分・学長裁量の無駄遣いが加わってさらに度を増した緊縮財政で割を食ってしまうのは,この真に重要な部分である。 「改革」は,個人の時間や労働量をタダのものにする。 これらはコストなのだが,目に見えないので,「コスト」の意識が持たれない。 タダのものは,いくら足してもゼロである。 そこで,個人の仕事を増やすことに問題を感じない。 花火を打ち上げることに努め,仕事を増やす。 (「油と百姓は絞るほど出る」) この先にあるのは「過労働で倒れる」か? そんなに単純な話にはならない。 「火遊びには適当に付き合う」の知恵が回ってくる。 そして「笛を吹く者とそれに気怠く付き合う組織」の図が出来上がる。
一方,自分たちは,「改革の考え方がおかしい者」と見られている。 コストについては,さらに,「被害と手当」の問題を考えねばならない。 "If we build it, they will come." のコストは,build だけではない。 build の後には,運営・保守管理が続く。(運営・保守管理費はすぐに build の工事費を越える。) 失敗したときには,手当・撤収・復旧/軌道修正のコストがかかる。 以上のことを踏まえて,生涯学習教育の「収支計算・コスト対パフォーマンス比」の問題を,つぎの「生涯学習教育」の各カテゴリーについて考える:
○「教職大学院」 走り出してしまった「教職大学院」をチェックする指標は,コスト対パフォーマンス比である。 したがってこれをきちんと算出し,把握できるようにする必要がある。 また,起ち上げに至るまでに要したコスト (多くは個人の時間と労働量 (見えないコスト)) も,いま改めて算出しておくことが今後の役に立つ。 ○「教員研修」(「免許状更新講習」) 「免許状更新講習」では,現行の「10年経験者研修」のように実施時期をバラバラにとるようなことはできなくなる。実際問題として,講習の時期は一つしかない。 すなわち,公立学校の夏季休暇期間から国民行事の数日を除いた部分である。 大学教員はこの期間をつくるために本業を調整し,講習を行う。 したがって,「免許状更新講習」のコストの問題は,ほぼ個人の時間と労働量 (見えないコスト) の問題になる。 一方,このコストに対するパフォーマンスについては,そうとうがっかりしなければなるまい。 実際,「免許状更新講習」に対しては,免許更新の可・不可を決めるもののようには,だれも考えていない (これの制度化を進めた行政も含めて)。 「不適格者」は「講習」で判決できるものではないから,「講習」は「不適格者」を出さない。 それは,出席するだけでよい免許更新講習になる。 ──始める前から形骸化している。 ○「一般公開講座」 公開講座は,基本的に,教員が個人裁量/自己責任で行う。 そして教員が個人裁量/自己責任で行う公開講座の場合は,コスト対パフォーマンス比は自ずと妥当なものに落ち着く。コスト対パフォーマンス比の問題発生は,例外的としてよい。 コスト対パフォーマンス比の問題が発生するのは,公開講座が組織的に取り組まれる場合である。 このときは,「見えないコスト」(個人の時間と労働量) と収支計算に現れるコスト,そしてこれに対するパフォーマンスを,厳格に問題にしなければならない。 公開講座は「やることが善」ではないのだが,「大学評価」に狼狽して点取り主義に走ると,「やることが善」になってしまう。そしてこの場合,コスト対パフォーマンス比が考慮の外に置かれるようになる。 |