Up 本を読まない 作成: 2008-02-04
更新: 2008-02-04


「読書」の意味

    「大学生」のイメージの要素に,「本を読む」がある。
    その本は,文学・人文・社会・経済・哲学・科学の一般書および専門書である。
    しかし,いまは,本を読まない・読んだことがない大学生が普通にいる。

      註 : 「読んだことがない」は,誇張で言っているのではない。
    この通りの大学生がいる。


    大学生になるまでずっと,そして大学生になっても,本を読まずに済んでいるなんて,そんなことがあり得るのか !?
    事実は事実。
    翻って,自分らの中に「学生は本を読むものだ」の思い込みがあったということだ。
    そこで,「学生はなぜ本を読むのか?」の問いになる。


    学生は,読まねばならないと思うから本を読む。
    読まねば人として格好がつかないと思うから,本を読む。
    これだけであり,これ以上はない。

    「読まねばならない」の漠然とした思いがあって,本を読む。
    この漠然とした思いは,どこからきたのか。
    <周囲>である。

    とすれば,<周囲>が変質して「読まねばならない」の漠然とした思いを醸成するものではなくなり,そしてそのことで,「読まねばならない」の漠然とした思いからフリーになった人種が登場しても,よいわけだ。
    実際これが,「本を読まない・読んだことがない大学生」である。


    「本を読まない・読んだことがない大学生」は,「考える力のない大学生」である。 これは,はっきりしている。
    本を読むことにより,「考える」で必要な内容的および形式的手がかりを豊かにしていく。 本を読まない・読んだことがない者は,この手がかりがまったく貧しいため,「考える」ができない。

    したがって,「本を読まない・読んだことがない大学生」は本を読むように自らを変えていかねばならないわけだが,ここでつぎの問題になる:

      「本を読まない・読んだことがない大学生」は,
      「いまになっては本を読めない大学生」か?

    これは,調査研究していかねばならない。