Up イントロ 作成: 2021-06-16
更新: 2021-06-16


    年を取るとは,死ぬ前にしておこうとすることをすることである。
    死なんてぽっくり来るものであるから,「最後の1つ」の構えで取り組むことになる。
    で,本サイトの「最後の1つ」は?となる。
    で,『自由の方法』となった。
    ここで「自由」は,"freedom" の方である。── "liberty" ではない。

    「三つ子の魂百まで」のことばがあるように,ひとは根っこの部分ではなんも変わらないものである。
    『自由の方法』は,わたしの 1968 年のテーマである。
    いまのわたしが当時と違うのは,思想を少しはうまくやれるようになっているというところである。
    しかしこれは,体力とのトレードオフ。


    1968年は,「反体制」の思想の時節であった。
    その思想状況は,ごった煮状態であり,その中にいる者は自分が何を思想しているのかまったくわからないというものであった。
    実際,まったくの別モノが「反体制」の括りになった。
    即ち,正義と頽廃である。
    そしてこれが殆どであるところの,どっちつかずの宙ぶらりん。

    正義は,<世直し>への正義の連帯に己が表現されることを好む,というものである。
    正義派は,体制に割り込み,自分の陣地を増やしていく。
    いまのコンプライアンス体制 (正義イデオロギー体制) は,彼ら正義派のつけである。

    頽廃は,正義──正義の連帯──というのがどんな種類であれ性に合わない,というものである。
    これは,全体(社会)主義に反対する個人主義に向かう。
    全体(社会) の紐帯は正義であるから,これは反正義であり,よって「頽廃」と呼ぶことになるわけである。


    1968年は「反体制」の思想の時節であったと言ったが,そんな大昔のことは知らんとなる世代は,「全共闘」でググるべし。
    学生の頭でやることなので,思想はひどく幼い。
    思想がそもそも無理な派は,戯画化して言えば,正義派はトロツキー,頽廃派は高橋和巳にそれぞれ浸るといったふうであった。
    そして思想にがんばろうという派は,吉本隆明に浸った。

    ただ,吉本隆明は,だいぶねじ曲がった思想をつくってしまう者であった。
    学生の頭でその屈折を読み取るのは無理で,彼らは吉本隆明をわかったつもりになろうとして騙された。

    簡単に言って,以上が1968年の「反体制」の思想状況である。


    さて本テクスト『自由の方法』で論じようとする「自由」は,以上のようなことを伏線にした「頽廃」の意味の「自由」である。
    「反正義」の「自由」である。
    正義は大衆に存するから,「反大衆」の「自由」である。
    正義は人類に存するから,「反人類」の「自由」である (笑)

    論調は,正義・大衆・人類を嗤う,にする。
    また,自分は教育学部の大学教員を生業にして学校教育とか教員というものをひとよりはだいぶ知ることになった者なので,これらをも大いに嗤ってみることにする。
    コンプライアンスの頭しかないのがいまの学校だからである。