Up 遺言 作成: 2021-06-27
更新: 2021-06-27


    リタイアして自由になった者は,後代の者のためにその自由を講ずることが仕事になる。
    その題は,「自由をじゃまする正義からの自由」である。

    わたしのリタイアは,数学教育の職からのリタイアであった。
    この経緯からわたしが講ずることになるのは,「数学教育の自由をじゃまする正義からの自由」である。


    数学教育の自由をじゃまする正義,それは数学教育学というものである。

    数学教育学は,数学教育の生態系に自分が生きられるニッチを見つけそこに棲み着いた。
    そのニッチは,「数学教育の意味は一般陶冶だ」を唱えることである。
    数学教育の意味は一般陶冶だ」を唱えることで,大学の職が得られ,社会的には相当規模の経済効果をもたらすことになった。
    そのかわり,学校数学が,数学を知らない教員が「一般陶冶」をアリバイにして済ませるところとなった。


    わたしは数学教育学を内側から見る立場をキャリアにしてきた者として,このことをしっかり書き留めておこうとする。
    というのも,「わたしの若いとき,この手のことばが既に数学教育界隈に流れていたなら,それを盾にできたりして,処世がだいぶラクになっただろうな」と思うからである。

    実際,若いとは,大人の言ってくる正義を胡散臭いと思うことである。
    この若い者は,だんだんと大人に染まって,正義のことばをふつうに吐くようになる。
    だから,リタイアするとは,若い者に向けて「胡散臭いと思うのは正しい──実際,その正義の正体はこんなものだ」の言を遺さねばならないということなのである。