Up 『美唄炭鉱の歴史』: はじめに 作成: 2024-01-12
更新: 2024-01-12


    美唄炭鉱の歴史は,踏査探鉱から閉山までのおよそ80年。
    三井・三菱の二大美唄炭鉱の歴史となると,50年。
    この年数が示すように,炭鉱経営とはずいぶんと(はかな)いものなのである。

    閉山の理由として「エネルギー革命」のことばがきまって出てくる。
    しかしこれは,余命いくばくもない体にとどめを刺すといったものである。

    石炭需要は,乱高下する。
    需要が高まるとき,炭鉱経営は人員を増やすことでこれに対応する。
    つぎに需要の降下がやって来る。
    炭鉱経営は,これに対応できない。
    大所帯になった炭鉱は,人員の整理が簡単ではないからである。
    (炭鉱は,家族意識のようなものが醸成されるところである。)
    炭鉱経営は,リストラよりも,国の補助を引き出しつつ全員でジリ貧を忍ぶという方を選ぶ。
    そしてこのやり方は,国の支えが外されて,終わりとなる。

    そして炭鉱は,もともと「余命いくばくもない」ものなのである。
    一鉱山が年間十万トン単位で出炭すれば,商品になる石炭はすぐに尽くされる。
    炭層が減少するとともに良質でなくなり,採掘がコストに見合わなくなる。

    一般に,鉱山は取り尽くしをやって閉山になる。
    閉山は,シンプルに「取り尽くし」が理由である。
    日本は,これまでに金山をはじめあらゆる種類の鉱山があったが,すべて「取り尽くし」によって今は無くなっている。
    鉱山採掘とはもともとこういうものなのである。


    ひとは,資源を取り尽くす生き物である。
    鉱床採掘,地下水汲み上げ,漁撈等々,すべてで取り尽くしをやる。
    そして商品経済は,この取り尽くしを猛スピードで進行させる。

    資源の取り尽しで成り立っているひとのいまの生活は,計算の上ではこの先数十年で終わる。
    終わる者たちは,この現実をわかったところで何もできない。
    救われる夢を見て終わりを生きるしかない。

    「地球温暖化」は,このような夢の一つである。
    ひとは「脱炭素」で救われるという夢を分かち合う。
    そして「脱炭素」と称して,いっそう大がかりな資源取り尽くしを開始し,これに邁進する。


    歴史は,「温故知新」で見ていくものである。
    美唄炭鉱の歴史も,このように見ていくものである。
    しかしネットは,懐古調の炭鉱遺構訪問が満載。
    これがどうにも気色が悪い。
    感傷とは勘違いのことであるからだ。

    というわけで美唄炭鉱の歴史を,ここで改めて押さえておくことにした。