いまでは空気のようにアタリマエになった「PC (personal computer)」。
しかし,このコンセプトが画期的であった時代が,もちろんかつてあった。
「PC」は,鉄道に対する自家用車のように発想された(註)。
「自家用車」の意味は,「個の多様なアクセスを可能にする──そのことで多様な個にとってのツールになる」である。
パーソナルコンピュータの開発には,「個の多様性の解発 (release)」──この意味での「自由」──の思いがつねにあった。
そして,「パーソナル」開発の思いは (商業主義の陰に入って見えにくくなっているが) いまもこれと同じである。
「パーソナル=個の多様性」は,組織論と深く関わることになる。
組織論には,多様を称揚するものと,多様を厭うものがある。
多様を厭う組織論では,個を動かす軌道を設計しようとする (鉄道モデル)。
個には,この軌道の上を動くための個人用トロッコがあてがわれる (「thin client」)。
自家用車モデルについている者 (自由主義者) は,この鉄道モデルといろいろな局面で齟齬することになる。
註 : |
1991年 Byte 誌のインタビューに答える Allan Kay のことば (引用): |
"In 1968 I saw two or three things that sort of changed my whole notion of computing. The way we had been thinking about it was sort of Doug Engelbart's view that the mainframe was like a railroad, owned by an institution that decided what you could do and when you could do it. Engelbart was trying to be like Henry Ford. A personal computer as it was thought of in the sixties was like an automobile."
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(Ryan, Bob. "Dynabook Revisited with Alan Kay". Byte. vol 16, February 1991.)
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