Up | 「個人情報保護」集団ヒステリーの内容 | 作成: 2007-09-20 更新: 2007-09-20 |
日本はいま,「個人情報保護」の集団ヒステリーに嵌っている。 この場合の「合理に対する思考停止」は,「個人情報」を内容的に考えないということである。 ──「ゼロかイチか」にする。 新聞は,どうってことのない「個人情報」がどこかに流れたことも,鬼の首でもとったように報道する。 「個人情報保護」は魔女狩りの集団ヒステリーと化し,どうってことのないものに対して「どうってことはない」とは,だれも言えない。 ──そんなことを言ったら,袋だたきに遭うという思いで,互いにすくみ合う。 もともと『個人情報保護法』は,週刊誌がある有力者や政治家をネタにできないようにするという動機不純なところから発している。 立法するのは政治家だから,立法もたやすい。 『個人情報保護法』に反対したのは,一部の個人であった。 新聞は,「どうでもいい」という感じで終始した。 そして,いま「個人情報保護」の憲兵の役回りを果たしている。 (『個人情報保護法』が独り歩きする土壌) 各機関は,「個人情報保護」で失敗し新聞に書かれることに怯える。 そこで,「わたしのところは個人情報保護にこんなに熱心だ」を表すことと,「個人情報」をガチガチに閉じこめること (=情報として使い物にならなくすること) に腐心する。 使えない名簿,連絡網をやめたため緊急時に困る,不埒な人間の保護に使われる,といった不具合を見せつけられても,この集団ヒステリーは改まる気配がない。 情報システム管理にとっては,「個人情報保護」で失敗することよりも,この集団ヒステリーに嵌ることの方が,はるかに問題である。 国立大学の場合であれば,先ず文科省が「個人情報保護」を国立大学に通達して,自分のアリバイづくりをする。 つぎにこれを受けた国立大学の中央部署が,下の部署に通達を回して,自分のアリバイづくりをする。 情報システム管理の部署も,各機関および教職員個人に通達を出して,自分のアリバイづくりをする。 この流れでは,一貫して,「個人情報」を内容的に考えることがされていない。 関心は,「自分の立場の安全──責任問題を背負い込まない」の方にある。 このとき,つぎのことが危ぶまれてくる:
この結果として,情報システムが (ユーザ本位ではなく) 管理者本位のものになっていく。 教育には,評価の通知のように,「個人情報の共有」がある。 共有の一員が,これを他に見せれば,これは「個人情報が外に流れた」になる。 そして「個人情報保護」集団ヒステリーのもとでは,これは個人情報漏洩事件ということになり,当該教員の責任問題/処分問題になる。 特に,教育に「web-based」を活用している場合などは,個人情報漏洩事件にされるかされないかは,偶然 (「運」) の問題である。 |