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5.2 ツールとしての用法



 形は用途を持つ。もっとも,「この形の用途はこれだ」という具合に答えることのできないような「用途」ではある。しかし,現に,生産的行為の中で,世界認識の中で,一般に生活の中で,それらは使われている。ある形がわたしたちの生活の中にあるのは,使われている限りにおいてだ。それがこのときの「用途」である。

 「用途」を述べることは単純ではない。あるいは,より正確な言い方をすれば,「用途」は「用途を述べる」というスタンスを許すような単純な事態ではない。

 しかし,事実はそうでも,教科教育での形の導入は,ツールの導入として,用途を指し示すものでなければならない。「この形はこのようなことをするためにつくり出された」,「つくった人のほんとうの動機はわからないが,こんなふうに使えてきわめて都合がよい」が,指導の内容になる。

 ひとは,対象をそれの意義において受容する。そしてツールの意義はそれの用途である。用途の理解においてツールは理解される。

 専門家イコールよい指導者とは限らない。「意義」が身体に自明になっていて改めて意識にのぼることのない専門家には,「意義」そのものが指導のテーマになること,「意義」をとばしていることが学習者のつまずきになっていることが,気づかれにくようだ。飛行機の本体を示された学習者は,それを飛ぶものと理解するだろうか。ツールの用途は,ツール作成者の意図であり,ツールに内包されてはいない。それは,言ってもらわねばわからないことなのだ。

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