Up | 数学は全体主義/洗脳と闘う | 作成: 2021--04-02 更新: 2021--04-02 |
ひとが,「新型コロナ」全体主義にすっかり洗脳されている時節である。 全体主義・洗脳の時節は,「専門家/有識者」が活発になる。 彼らの役割は,トリックスターである。 トリックスターは,災難を餌にして活発化する。 「自分はひとを正しい方向に導く者である」を装い,デマゴギーを垂れ流して,これを商売にする。 全体主義を主導するのは,行政・マスコミ・トリックスターのセットである。 そして,洗脳される大衆が,彼らに正のフィードバックをかける。 こうして,社会は全体主義・洗脳強化の自動システムになる。 現前の「新型コロナ禍」は,この状況である。 「新型コロナ」では,ひとは「感染拡大」で脅され,「自粛」に洗脳される。 この「感染拡大」は,陽性者数を検査数との比で見るべきところを,検査数を隠す──というトリックである。 この手の詐欺は,福島原発事故での被曝量アナウンスでも見られた。 そのときは,「単位時間当たり被曝量」を「被曝量」に置き換える騙しが行われた。 被曝量は,単位時間当たり被曝量の積分で計算される。 しかし,トリックスターたちは,「福島市の数マイクロシーベルトは,MRI で被爆する数百マイクロシーベルトよりずっと小さい」を宣伝した。 そしてマスコミ・行政が彼らと共犯関係になったことも,いまの「新型コロナ」と同じである。 ところでひとには,洗脳されにくい者がいる。 洗脳される者は,トリックスターの詐欺に気づかない者である。 洗脳されにくい者は,トリックスターの詐欺に このときトリックスターの詐欺に気づかせるものは,自立的な教養である。 ただの教養ではなく, 自立的な教養の要点は,構造看取の力である。 トリックスターのトリックの仕掛けは,嘘の構造である。 本当の構造を嘘の構造にすり替える。 そこで,トリックを見破るようにさせるものは,構造看取の力なのである。 構造看取の力は,科学の学習で鍛錬される。 科学の営みは,主題の構造化だからである。 ただし科学には,「構造」の概念が緻密なものと粗雑なものの別がある。 単純に,自然系は緻密で,人文社会系は粗雑である。 こうなるのは,前者は構造を主題化しやすい分野となり,後者は構造を主題化しにくい分野となるからである。 構造を立論できない科学は,「科学」と称しても実体は疑似科学・エセ科学である。 全体主義・洗脳の時節に活発になる「専門家」は,だいたいが構造概念の粗雑な分野で生業っている者たちである。 ところで,学術には,構造そのものを研究対象とするもの──「構造の学」──がある。 数学である。 数学者は,「変わり者」が多いとよく言われる。 「変わり者」とは,社会に同化されないということである。 社会に同化されるとは,全体主義のエセ論理に騙され,これに順応するということである。 しかし数学で構造の論理が身についてしまうと,エセ論理に騙され順応することが,できなくなるのである。 数学を身につけることは,全体主義・洗脳に対する武装である。 全体主義・洗脳に対しては,ひとはずっと全戦全敗の この認識に立ち,そしてトリックスターの手口を考えれば,小中の数学科などは「比」と「積分」の2つを確実にやっていれば十分ということになる。 十分どころか,この2つがちゃんとできたら御の字である。 ──「二兎を追う者一兎をも得ず」のためし。 「比」を主題化する単元は,「分数」である。 そして「積分」を主題化する単元は,「平均」と「ヒストグラム」である。 しかしここに,「数学の味方」のつもりでいてその実,全体主義に加担することにしかならない疑似科学がある。 「数学教育学」である。 これは,数学教育を数学教育でないものにしようとしてきた。 数学教育が数学教育だと,自分の出る幕が無いからである。 「数学教育学」は,数学教育が数学教育だと自分の出る幕をつくれない者たちが立てるものである。 彼らは,数学を自分がわかったつもりになれるものに変えようとする。 こうして数学を別モノにする。 さらに,題目でしかない「一般陶冶」を唱えて,数学教育を完全に別モノ化しようとする。 彼らもまた,全体主義・洗脳の時節に元気になるトリックスターである。 |