Up 数学教育の理由は,<数学の力> 作成: 2017-08-25
更新: 2017-08-25


    「数学教育」は,数学を教えることに意義を措いている様である。
    そこでは,数学をナンボのものとしているわけである。
    その「ナンボ」が問われるとき,何と答えるか。
    <数学の力>であるのみである。


    数学の学習は,<数学の力>を摂取することである。
    それは,日常語の学習が<日常語の力>の摂取であるのと同型である。

    ひとは,日常語を学習することで,知らずにすぐれた論理学者になる。
    助詞の「は・が・も」を使って「私は・私が・私も」を言うようになることは,つぎの論理形式の区別を身につけたことである:
      命題 P(x) に対する,
        P(私)   I do.
        { x | P(x) } = {私}   It is I that do.
        私 ∈ { x | P(x) }   I am one of those who do.
    知らずにすぐれた論理学者になっているというのは,<日常語の力>である。

    日常語学習と同様に,ひとは数学の勉強によって,知らずにすぐれた何かになっている。
    知らずにすぐれた何かになっているというのは,<数学の力>である。