Up 量の存在論 作成: 2011-01-20
更新: 2011-01-20


    数学では,量は形式になる。 そして,この形式は数を用いて表現される。
    この意味で,数が量という存在をつくる。

    数と量の関係については,つぎの唯物論の考え方がある:
      リアルな量が先ずあり,これを抽象して数が得られる。
    学校数学の「数と量」の扱いは,これに近い。

    唯物論の土俵で数から量か?量から数か?の論をやり出すと,これは哲学で延々とやられてきた「コトバとモノ」の存在論になる。
    本テクストは,この土俵にはのぼらない。
    実際,のぼることは無用である。 「数と量」の数学が,そもそも唯物論を含め存在論から導かれるものではないからである。

    「数と量」の数学がリアルへ適用して得たい結果をもたらすものになっているのは,これが存在の反映ないし抽象だからではない。 リアルへ適用して得たい結果をもたらすように,つくられているからである。
    包丁で肉を切れるのは,包丁が肉の反映ないし抽象だからではない。 肉を切れるものとしてつくっているからである。

    量にしても,リアルの側にあるのではない。
    例えば,「速さ」はリアルの側にあるのではない。 「速さ」の場合,リアルの側に措かれるものは,一瞬に目の前を通過する新幹線とか,地面を這っているミミズとかである。 新幹線やミミズが,包丁を使って肉を切るときの肉である。 そして「速さ」が,包丁である。