Up スーパーマン養成とはならない 作成: 2008-06-06
更新: 2008-06-06


    「改革」の時代は,「やる気があればなんでもできる」がリードする:

      「<できていなければならないこと>がこれまでできていないのは,
       そのような取り組みをサボっていたからである。
       いまからこれらを実現せよ!」

    そして,思いつきをいろいろやり始める。
    この心理状態では,問題対象が複雑系であるという考え方ができなくなっている。


    このような「改革」は,教員養成に対してはスーパーマン養成を言ってくるものになる。 (『在り方懇・報告』の教員養成 : スーパーマン養成)

      あこがれの存在の実現を見たいというのが「改革」であるから,教員養成の「改革」はきまってスーパーマン養成を言うものになる。


    スーパーマン養成は,つぎの2つの理由において成り立たない:

    1. 人間の能力は,残念ながら,ちょぼちょぼのものであって,スーパーマン養成は成立しない。
      スーパーマン養成が成立しないのは,栄養のある食事や栄養ドリンクの問題以前に,素材の問題である。
    2. スーパーマンを養成する栄養のある食事や栄養ドリンクというものは,存在しない。(スーパーマン養成の秘薬・秘訣は存在しない。)

    スーパーマン養成は,成り立たないばかりでなく,成り立たないことを強いてやろうとして浅はかなことをやるので,教員養成そのものを壊してしまう:

      「改革」は,「学生はもっといろいろ勉強しなければならない」と言って,カリキュラム再編・課程再編の形で従来型を改めようとする。
      従来型の立場は,教科専門性陶冶を軸とする基本陶冶である。 そして,実際のところ,学生は基本陶冶のところで既にアップアップしている。
      「改革」は,実用性・総合性陶冶をやろうとする。そして,基本陶冶をダメにしてしまい,結局,元も子もなくしてしまう。


    スーパーマン養成をしようとする「改革」は失敗し,教科専門性陶冶を軸とする基本陶冶の教員養成に戻る。 こういうわけで,「従来型」はつねに基本陶冶である。

     註 : 「改革」は失敗し従来型に戻るということは,従来型はうまくいっているということではない。
    実際,従来型はうまくいっていない。
    しかし,この「うまくいっていない」を改めるものは,スーパーマン養成の「改革」ではなくて,基本陶冶のところでの取り組みである。(「制度か?人か?」では,人