Up 要 旨  


    教員は,数学科教育の<ユーザインタフェース>ということになる。 これが良質なものかどうかということで,<教員>は数学科教育の規制要因になる。
    実際,学校数学の内容および教育施策が比較的よいものであっても,教員に力が備わっていなければ,数学科教育は実現しない。 「音響システムでスピーカーが拙ければ,それより上流がいかに上等でも,ちゃんとした音は出せない」みたいなものである。

    教員には,良質とそうでないの2種類があるのではない。
    教員は,つねに成長途上であり,その都度未熟である。
    成長は,一定以上速くすることはできない。
    そして,速くすることがよいことでもない。(「塞翁が馬」)

    教員の成長は,成長機会を持たなければ,停滞する。さらには,退行する。
    成長機会については運不運もあるが,これを呼び込むよう自ら努力するということが重要になる。

    大学の教員養成コースは,「教員免許取得要件を満たすだけの科目履修をする」みたいに過ごすなら,何のゲットもないものになる。 しかし,今日,大学の方も学生のこのような気分に応ずるようになっているので,注意が必要である。

    教職に就くと,「専門数学は必要ない」になってしまう。 数学の本に目を通すことがなくなり,専門数学の学力は退化するばかりとなる。
    専門数学は必要ない」になるのは,「数学の授業」が何かを知らないからである。
    自分では,数学の授業が問題なくできているつもりでいる。 そこで,「専門数学は必要ない」になる。

    自分の内の<できているつもり>を壊すためには,自分の外に出る必要がある。
    大学の教員養成コースは,これの学習が含まれるように構成されていなければならない。
    教職に就いてからは,各種研究会に入って活動する等の自己研鑽に意識的に努めること。そうしなければ,ずっと<数学の授業ができているつもり>でいてしまう。