Up | おわりに | 作成: 2013-11-26 更新: 2014-03-24 |
しかし,これが数学というものである。 数学は,「役に立つ」で回っている日常生活からむしろ脱けるとか批判するふうに立つ。 理屈っぽく,偏屈である。 子どもに数学を勉強させようとするのは,この理屈っぽさ偏屈さに意義を見出すからである。 子どもにとって数学の勉強がたいへんなことは,最初からわかっている。 数学の勉強をさせることは,たいへんを引き受けさせることである。 ただし,たいへんをやろうとしても,実際にできなければしょうがない。 そこで,できることのぎりぎり──数学をできるだけ損なわないのぎりぎり──を考え出す。 これが「教育的方便」である。 しかし方便は,これが所与になる後の世代の教員には,「本当」になる。 方便は,方便であることが世代忘却され,「数学忘却」と同じになる。 「比例」の現行指導内容は,「数学忘却」よりさらに深刻な問題を孕んでいる。 「数学知らず」である。 「忘却」する以前の「数学」が持たれていないのである。 本論考は,この問題意識から,「比例」」がどのような主題なのかを再確認しようとした。 そしてこれに併せて,「数学知らず」が学校数学にとってつねに身近な問題であることを示そうとした。 |