Up | はじめに | 作成: 2013-11-20 更新: 2014-03-24 |
数学を生徒に教えようとするとき,数学を生徒仕様にする。 この「生徒仕様の数学」が,学校数学であり,特に算数科である。 「数学を算数科の内容にする」は,「数学をやさしくする」ではない。 もうそうなら,数学は,やさしくできるものを無理矢理難しくしていることになる。 「数学を算数科の内容にする」には,「別物にする」がある。 数学は論理的構成を行う( 構成主義)。 論理的構成は,人の自然( 生理) が苦手とするものである。 「別物にする」の内容は,人の自然が受け付けられるほどに論理的構成を崩すことである。 論理的構成を崩した結果は,指導内容が論理矛盾や意義欠損を含むことである。 しかしこれは,「授業に乗せられるようにする」の含蓄であり,受容することである。 但し,数学を知っていて,この受容がある。 現実は,授業者も現行指導内容から学ぶ者である。 この場合,数学に向かう契機が無い。 《数学疎遠・数学無視──数学知らず》の構図に嵌まっている。 授業者は,「受容」を心得ていない者として,論理矛盾や意義欠損が理由の指導困難の場面で,対応を間違うことになる。 即ち,無用に悪戦苦闘し,あらぬ方向に行ってしまう。 こういうわけで,本来なら,つぎのようになる: 現行の「比例」指導は,以上論じた視点から見ていくところとなる。 実際,「比例」は,現状で,数学と学校数学の違い・隔たりの大きい主題ということになる。 いま,「比例」の現行指導は,「比例関係」と「y=ax」を,2量の対応表を横に見るか縦に見るかの違いとして,同列に並べるものになっている。 こうなってしまうのは,「単位の固定」を最初にもってくるからである。 一方数学だと,「比例関係 → 単位の固定→ y= a x」の構成になる。 「比例」の現行指導内容は,授業者もこれを「比例」の内容だとして学習する。 《数学知らず》の構図に嵌まっている。 この《数学知らず》が蔓延・固定することは,学校数学から「比例」の数学が完全に無くなることである。 そこで,「比例」の数学の再確認作業が必要になる。 本論考は,これを行う。 なお,「比例」の数学の押さえは,「比例」の現行指導内容と対照する形が,わかりやすくそして実際的である。 本論考はこのように構成する。 |