Up 「数学の勉強」と「形式陶冶」の位置関係 作成: 2014-03-14
更新: 2014-03-16


    学校数学の意味は個依存である。
    学校数学の意味を述べることは,学校数学を通過した個にとって学校数学が何であったかを述べることである。

    学校数学が何であったかは,学校数学をどんなふうに過ごしたかと,相応じる。
    最後まで学校数学に付いて行った/行けた者は,「数学を勉強した」と言うことができる。
    しかし,途中で学校数学に付いて行けなくなった/行くのをやめた者の場合は,学校数学の通過を「数学の勉強と何か」にしなければならない。 そして,その「何か」の説明は,「形式陶冶」に求めるのみである。

    このように導出した「数学の勉強」と「形式陶冶」は,どのような位置関係でイメージすることになるか?
    二本立てでか?表裏でか?同一でか?

個Aの<学校数学の通過>

二本立て?表裏?同一?

    本論考は,「同一」を立場にする:
      「数学の勉強」⊂「形式陶冶」