Up 「授業運」の立論へ : 要旨 作成: 2013-01-27
更新: 2014-03-18


    授業/学校数学は,多様 (「何でもあり」) である。
    そして,授業は生徒にとって所与である。
    生徒は授業を選べない。

    しかし,生徒も多様である。
    授業は生徒を選べない。

    そこで,「授業は生徒にとって所与」は,ひどく単純に見積もっても,生徒の<個の多様性>と授業/学校数学の<個の多様性>の積空間の内容になる。
    しかも,この多様性は,価値通約できない多様性である。 生徒特個,授業特個の世界である。

    本論考は,この位相の「授業は生徒にとって所与」を主題にしようとする。
    これは何をすることか?
    本論考は,「授業運」論をつくることであると捉える。

    この「授業運」論は,「当たり・外れ」さえ言えない「運」──「塞翁が馬」タイプの「運」──の論になる。
    さて,それはどこに向かうのか?
    本論考は,つぎの展開を立てる:
    1. 主体論
        《受容──受動に理を措く》
        《実践──能動に理を措く》
    2. 文化論
        《「授業運」がどう受け取られ・扱われるか,それは文化》