Up | 「学校数学=形式陶冶」の「形式」とは? | 作成: 2013-01-17 更新: 2013-10-07 |
Making『「学校数学」論』
Making 『「数学の勉強は何のため?」の答え』 最終論考 :『マクロ数学教育学──定立と方法』 |
オンラインブック版 PDF 3.44 MB 作成: 2013-10-07 更新: 2013-10-07 |
1. はじめに 2. 全体論考の中の,本論考の位置 3. 本論考の要旨
1.0 要旨 1.1 「見方・考え方」 1.1.0 要旨 1.1.1 「見方・考え方」 1.1.2 「抽象」「形(かたち)」 1.1.3 「転移」「一般」 1.1.4 「肝心」「形(かた)」 1.1.5 「無意識」「空ろ」 1.2 「成長」 1.2.0 要旨 1.2.1 「成長」 1.2.2 「個性・人格・為人(ひととなり)」
2.0 要旨 2.1 「学校数学=形式陶冶」の措定 2.1.0 要旨 2.1.1 勉強の<得>を「数学ではないもの」にする必要 2.1.2 「学校数学=形式陶冶」の措定へ 2.2 「内なる形式」 2.2.0 要旨 2.2.1 「形式陶冶」の含蓄する「形式」は内なる存在 2.2.2 「内なる形式」は,表象主義
3.0 要旨 3.1 「形式」の存在措定 3.1.0 要旨 3.1.1 形式は,内ではなく外にある 3.1.2 「内」を退ける理由 3.1.3 <分野・領域>は,<形式>と相応じる 3.1.4 現前が形式の潜在性である理由 3.2 「外なる形式が自分に届く」とは? 3.2.0 要旨 3.2.1 「外なる形式が自分に届く」の存在論 3.2.2 「求めるものが届く」の解釈 3.2.3 「転移」 3.2.4 <形式が届く>は, <我を空しく>と相応じる
4.0 要旨 4.1 「形式が届くカラダ」の成長 4.1.0 要旨 4.1.1 「成長」は「形式が届くカラダ」の成長 4.1.2 成長は,「迂遠」プロセス 4.1.3 経験の「堆積と風化」 4.1.4 経験の「無用の用」 4.2 「形式」の個人差 4.2.0 要旨 4.2.1 形式の捉えの個依存性 4.2.2 形式と年齢 (経験年数) の関係
1.0 要旨 1.1 「形式」の記述と「形式陶冶」の記述の区別 1.1.0 要旨 1.1.1 「形式」の記述はふつうのこと──「肝心」の記述 1.1.2 「形式陶冶」は記述できない 1.1.3 「形式陶冶」の「形式」は記述できない 1.2 「形式が届くカラダ」の形成──「形式陶冶」 1.2.0 要旨 1.2.1 「成長」 1.2.2 「堆積と風化」 1.2.3 「無用の用」 1.2.4 「悟り」「達観」 1.2.5 個人差・共通特性 1.3 数学の出自になる形式 1.3.0 要旨 1.3.1 数学は,形式が出自 1.3.2 数学を教えることは,出自の形式を教えること 1.3.3 直接的形式陶冶 1.4 「学校数学=形式陶冶」の謂う「形式」 1.4.0 要旨 1.4.1 形式の「複雑」レベル 1.4.2 「勉強する者すべての得」になる形式 1.4.3 「よいカラダ」
2.0 要旨 2.1 「形式」記述のスタンス/哲学 2.1.0 要旨 2.1.1 反表象主義 (反合理主義) 2.1.2 非科学 2.1.3 非実証──経験・内観・主観主義 2.2 「記述困難」の構造の捉え 2.2.0 要旨 2.2.1 記述対象の拡散 2.2.2 記述対象の複雑性 2.2.3 ことばの限界 2.2.4 人依存 2.3 記述手法 2.3.0 要旨 2.3.1 「傾向性」 2.3.2 アナロジー/メタファ 2.3.3 ネガ・ポジ
3.0 要旨 3.1 外と内では, 「形式」記述がどう違ってくる? 3.2 表象主義の「内なる形式」 3.2.0 要旨 3.2.1 表象主義 3.2.2 機械論──「汎用マシン」メタファ 3.2.3 「一般形式」 3.2.4 「数学的形式」 3.3 反表象主義の「内なる形式」 3.3.0 要旨 3.3.1 反表象主義 3.3.2 「内なる形式」の記述は, カラダの記述 3.3.3 カラダ論は,無理 3.3.4 反表象主義「内なる形式」は, 無理を立場にする 3.3.5 「風化造形」「無用の用」
おわりに |