Up 教える─カラダ─わかる 作成: 2016-01-25
更新: 2016-01-25


    数学教育は,「数学を教える」である。
    「数学を教える」は,相手を「数学がわかる」にすることである。

    「わかる」は,「わかっていない」(状態) から「わかっている」(状態) へのシフトである。
    このシフトの主体は,教える者ではない
    主体は,「わかる」本人のカラダである。
    シフトは,《カラダが自分自身を変える》である。

    「教える」は,このシフトの誘導である。
    誘導の方法は,カラダ──自分自身を変えるカラダ──への作用 (action) である。

    「自分自身を変えるカラダ」のことを,「能力」と呼ぶ。
    「教える」は,能力に作用して能力の変容を誘導しようとする行為/営みである。
    一般に,能力に作用して能力の変容を誘導しようとする行為/営みを,「能力陶冶」と呼ぶ。
    数学教育は,「能力陶冶」である。

      「学習」は,Aが自分に対して行う「能力陶冶」である。
      「教授」は,BがAに対して行う「能力陶冶」である。


    以上,《数学教育は「能力陶冶」》に来るまでくどいステップを踏んだが,これは,「自分自身を変えるカラダ」の概念を導入しておくためである。

    「自分自身を変えるカラダ」の要点は,不可知性である:
      《自分の「自分自身を変えるカラダ」は,自分にとって不可知である。
    相手の「自分自身を変えるカラダ」は,教授する者にとって不可知である。》
    「不可知」の措定は,つぎを導くためである:
      《何を行うことが「教授/学習」になるかは,論理が導くものではない。
    経験が導くものである。──頼るは経験しかない。》