Up はじめに 作成: 2011-04-01
更新: 2011-04-01


    現在,福島第一原発事故が進行中である。
    これに際しては,自己責任で,現在進行していることの内容・意味を捉え適切な行動を択ばねばならない。

    特に,放射能数値の安全/危険度の判断は,政府・マスコミおよびこれらの御用になる学者にまかせることはできない。 なぜなら,彼らが示す「放射能数値の安全/危険度」は,本来の安全判断ではなく,コスト判断を主とするところの政治的判断にどうしてもなってしまうからである。
    政治的判断がコスト判断になることは,よい悪いの問題ではなく,「そういうものだ」というふうに理解し,納得づくで対していくべきものである。
    翻って,個人には,主体的判断,自己責任が課せられるわけである。


    どんな数値が「安全基準」であるべきかは,ひと・立場によって,考え方が違ってくる。 特に,イデオロギーや宗教にもなる。
    ここで問題にしようとするのは,「安全基準」の数値ではない。
    「安全基準」と定めた値から「安全/危険」を導こうとしてひとが行う「計算」が,ここで問題にしようとするものである。

    なぜ「計算」を問題にするのか?
    おかしい計算がやられているからである。

    おかしい計算をしている当人は,ひとをごまかそうとしてわざとやっているのではない。 正しい計算だと思って,真面目にやっているのである。
    そしてその間違いは,義務教育ないし高校教育の内容のレベルにある。
    すなわち,数学教育/学校教育の責任となるものである。

    ということで,<放射能数値の安全/危険度>の計算の作法を,論じてみることにした。