Up 主体的であることの困難 作成: 2011-04-03
更新: 2011-04-03


    現前の放射能数値に対する安全/危険度の主体的判断は,安全/危険度を算出する計算の方法を自らもっていなければ,できない。
    計算の方法を自らもっていない者は,ひとの言うことに頼るのみとなる。

    先ずは,<権威>の言うことに頼ろうとする。
    政府・マスコミ・学者が,このときの<権威>である。
    しかし,<権威>の言うことが何かおかしいというふうに感じられてくる。
    実際,<権威>の計算は,安全/危険度の計算を専らとするのではなく,種々の<都合>を織り交ぜたものになるから,どうしてもおかしくなるのである。
    こうして,<権威>に不信感が持たれてくる。

    そこで,ネットで,何が本当なのかをさがそうとする。
    しかし,ネットに見出されるのは,<混沌>である。 言っていることがてんでバラバラの論・流説の氾濫である。
    これに翻弄されつつも,自分に適った論を求め,一つを定め,自分の立場にする。
    例えば,自分が身動きのできない境遇にあるものは,身動きしなくてよいことを合理化する論 (「放射能数値は安全」) を求め,一つを定め,自分の立場にする。


    「危険」を発信することの意味も,この力学の中で考えねばならない。
    「危険」の促しに応ずるものは,ごく少数である。

    2011-04-01 の朝日新聞に,「避難渋滞,津波被害を拡大,促しても車降りる人少数」と題する興味深い記事がある。 部分的に引用すると:
    仙台市若林区の‥‥さん (59) は,避難場所の小学校へ駆け足で向かう途中,信号の消えた県道交差点で車が立ち往生しているのを見た。警察官は車をたたいて避難を呼びかけたが,車を捨てて逃げる人の姿は見なかった。小学校に駆け込むと同時に津波が到来。校舎は3階まで水没し,車列が濁流に流されていたという。
    ‥‥
    釜石市では,国土交通省の港湾事務所付近の国道が渋滞した。職員によると,同事務所の屋上に避難するよう,同僚が拡声機で車列に向かって叫んだが,応じた人は少数だったという。

    知人の車で避難しようとした気仙沼市の渡部せつ子さん(82)は,渋滞中に濁流にのまれた。車ごと家に乗り上げ助かったが,「車から離れるなんて思い付かなかった」と語る。
    ‥‥
    一方,福島県相馬市の‥‥さん(61)は,車で命拾いした。住んでいた集落はほぼ壊滅。自宅から最も近い高台へは1キロ以上あり,「病気の妻と徒歩で逃げたら,間違いなく死んでいた」という。

    これをどう読むかであるが,ここではつぎのように読みたい:
    1. <ひとから言われてそれに従う>という行動は,起こらない。
    2. <ひとから言われてそれに従う>という行動を抑制するものは,主体的判断というよりも,むしろ思考停止である。
    3. <ひとから言われてそれに従う>ことがよいかどうかは,結果論である。