Up | 「安倍晋三銃撃テロ」の含蓄 | 作成: 2023-02-01 更新: 2023-02-01 |
このうち脅迫テロと愉快テロは,デモクラシー社会では「身勝手」のことばで処理される。 一方,復讐テロは,デモクラシー社会では扱いの難しいものになる。 デモクラシーは,個人の暴力を禁じる。 デモクラシーの立場は,「人様々」である。 自分の好き嫌いで暴力が振るわれたら,社会は保たない。 そこで,デモクラシーはつぎのように定めた:
暴力の行使は,警察に委ねられる。 なぜなら,警察は暴力を正しく行使するものだからである」 ひとは,これを信じない。 実際,刑事ドラマなどはだいたい,上層部が腐敗した者たちとして描かれる。 権力の一環,というのが警察に対する捉えである。 復讐劇であれば,復讐者を邪魔する<理不尽な存在>が,警察のお定まりの役回りである。 ひとは,自分が対象ではない復讐の場合,復讐者を応援する。 「悪いのは復讐される側」というわけである。 アメリカ同時多発テロでアメリカ全体がいきり立ったのは,自分たち──「罪の無い自分たち」──が復讐の対象になったからである。 「一部の悪徳企業/機関が対象」のように見えるようなテロなら,イスラムであっても彼らに同情することになる。 一昔前は,テロリズムは「デモクラシー」を思想するときの必須項目の一つであった。 今日では,テロリズムは「卑劣極まりない」「暴力では何も解決しない」のことばですぐに蓋をされる。 マスコミや学校教育が蓋をする役に回り,彼らのおかげで,テロリズムは「これを論じることなどあり得ない」というものになった。 で,ここに「安倍晋三銃撃テロ」が出てきた。 これは,「卑劣極まりない」「暴力では何も解決しない」のことばで蓋をするということができない。 いろいろ解決してしまったからである。 統一教会にメスが入り,そのうえ被害者救済法までできた。 そして,アベノミクスが終焉に向かうことになった。 どれもいこれも,安倍晋三という壁が無くなったためである。 復讐テロは,デモクラシーの根本矛盾である。 これを矛盾と思わないのは,「正義」イデオロギーである。 実際,「正義」イデオロギーはデモクラシーを考えることができない。 デモクラシーが立てる「人様々」には,「正義は無い」の含蓄がある。 一方,「正義」イデオロギーは,人を正義の者とそうでない者に分ける。 彼らが権力に就くときのその体制は,「正義」全体主義──「悪」粛清主義──体制である。 ひとは,いつの時代も,「正義」イデオロギーが悪とするものが好きである。 「正義」イデオロギーにいつも抑圧されているからである。 大相撲の取り組み再生回数は,朝乃山がトップである。 「正義」イデオロギーに潰されたということで,いっそう応援されるというわけである。 復讐テロはデモクラシーの根本矛盾である,と言った。 「根本矛盾」の意味は,「解決不能」である。 復讐テロが矛盾なのではない。 デモクラシーの方にもともと無理がある。 デモクラシーは,「無理があるが,これでやっていくしかない」というものである。 実際,デモクラシーか,さもなければ「正義」全体主義──「悪」粛清主義──体制か,である。 人の<生きる>は,生物の<生きる>のうちである。 しかし人の<生きる>は,生物の<生きる>と矛盾する。 (そもそも生物の<生きる>は,圧倒的な死の中にほんの僅かな生があるというものである。) 「テロリズム」をきちんと思想すべし。 マスコミや学校教育の「正義」の受け売りをしていると,思考停止が身について,ずっとマスコミや学校教育に騙され続けることになる。 |