Up 仏教のパラドクス──「煩悩からの解脱」煩悩 作成: 2018-06-06
更新: 2018-06-06


    「煩悩からの解脱」を課題にする者は,「煩悩からの解脱」を煩悩にする者である。
    「苦からの解放」を課題にする者は,「苦からの解放」を苦行にする者である。

    仏教は,このようになる。

    こうなるのは,煩悩・苦は,もともとひとが求めるものだからである。
    煩悩・苦が無い様では,ひとは煩悩・苦を自らつくり出すことになる。

    ひとは,生きている手応えの無い<生きる>を,嫌がるのである。
    そして,生きている手応えになるものが,即ち煩悩・苦というわけである。

    なぜこうなるのか。
    根底が<生物>だからである。

    生物の<生きる>は,苦労である。
    したがって,生物であるとは,苦労を生きるように出来上がっている,ということである。
    特に,<生きる>を苦労にすることを習い性にしている,ということである。